14歳で骨肉腫亡くなった「梅ちゃん」が残した絆に感謝(サンキュー) 梅﨑太助さんしのび、小城市立三日月中学校が同窓会
骨肉腫のため2001年に14歳で亡くなった小城市三日月町の梅﨑太助(だいすけ)さんをしのぶ会が2日、佐賀市で開かれた。太助さんの誕生日の3月9日と、「サンキュー(ありがとう)」にちなみ、ことし39歳を迎える三日月中の同級生たちが「39同窓会」として企画した。参加者は太助さんと歩んだ日々を振り返り、残してくれた絆にあらためて感謝した。 太助さんは明るい性格で多くの友人に「梅ちゃん」と慕われた。小学3年で始めたサッカーでは地元チームの中心選手として活躍。中学2年の時に右足のすねに骨肉腫が見つかり、再びピッチに立つことを目指して病気に立ち向かったが、約1年余りの闘病生活の末亡くなった。 太助さんの思いを受け継ごうと、少年サッカー大会「三・九カップ」がスタート。同じ病気と闘う元Jリーガーの塚本泰史さんとの縁も生まれるなど規模も大きくなり、20回以上の歴史を刻んでいる。 太助さんが亡くなってことしで24年。39歳の年を迎える同級生の有志が、卒業後初の大規模な同窓会を企画した。幹事の古賀達也さん(38)は「39は特別な意味を持つ。ただの同窓会ではなく、もう一度梅崎くんを主役にしたかった」と話す。 太助さんの家族や、幼稚園や小中学校の恩師も招き、約80人が集まった。太助さんの1学年上の先輩で、一緒にサッカーボールを追ったシンガー・ソングライターの野副一喜さん(39)は、太助さんのために作った『ナミダ雨』など2曲を歌った。古賀さんは「誰からも好かれる子だった。梅崎くんだからこれだけの人を集められた」と在りし日をしのんだ。 太助さんの父浩二さん(64)は「月命日、誕生日、命日と、いろんな時に、みなさんがいろんな事を報告に来てくれてつながりを作ってくれた。ありがとうございました」とあいさつ。母の真由美さん(64)は「あなたたちのおかげで私たちも前を向くことができた。太助はいなくなったけれど、関わってくださった皆さまのおかげで頑張って生きています」と感謝した。(古川浩司)
古川浩司