「中絶を決めた」と告白した議員 160年前の禁止法に揺れる米州
11月の米大統領選の接戦州である西部アリゾナ州で人工妊娠中絶を巡るせめぎ合いが激しくなっている。民主党のジョー・バイデン大統領(81)は中絶の権利擁護を掲げて支持拡大を図り、共和党のドナルド・トランプ前大統領(78)は争点化を避けようとしている。攻防に拍車をかけているのが、西部開拓時代の160年前に制定された全面的な中絶禁止法の「復活」だ。【アリゾナ州フェニックスで秋山信一】 【写真特集】米国の偽の中絶クリニックとは ◇議場でこみ上げた感情 州都フェニックスにある州議会で3月18日、民主党のエバ・バーチ州上院議員(44)が散会直前に発言を求めた。「数週間前、妊娠が判明しました。ずっと望んでいた妊娠でした」。思わぬ告白に議場は静まりかえった。「でも検査を重ねた結果、死産になることが分かり、中絶することを決めました」。時折、言葉を区切り、こみ上げる感情をのみ込んだ。 連邦最高裁が2022年6月に憲法判断を49年ぶりに覆し、州による中絶禁止を認めた後、同州では妊娠15週より後の中絶を禁止する州法が施行された。その上で、1864年に制定された全面的な中絶禁止法の復活の是非が法廷で争われ、州最高裁が近く判断することになっていた。 この法律は中絶を受精時点から禁止し、違反すれば医師に最高で禁錮5年の罰則がある。レイプや近親相姦の被害者も例外でない。「私が中絶を控えるタイミングで話せば、この法律の復活がどんな意味を持つのか、有権者に実感してもらえると思った」。中絶容認派のバーチ氏はそう振り返る。 ◇ただ「愛し、産め」は偽善 議場では自らの来歴も語った。上級看護師として産婦人科の現場を経験してきた。妊娠や出産が難しい体質で、30歳ごろから流産を何度か経験した。2人の子供がいるが、5年前に出会った現在の夫との間に子供を望み、不妊治療を続けた結果の妊娠だった。 2年前にも一度妊娠したが「死産になる」と診断され、中絶を選択した。当時は連邦最高裁が憲法判断を覆す前だった。だが、今回は妊娠15週までに判断できなければ州内で中絶はできなくなるところだった。まして中絶禁止法が復活すれば、はじめから中絶を選ぶこともできなくなる。それはバーチ氏だけではなく、全ての女性の問題だった。 前回も今回も中絶を選んだのは赤ん坊が生きられないからだ。中絶を諦めさせようとする動きについて、バーチ氏はこう語る。「根底にあるのは、中絶を選ぶのは『無責任で自己中心的な人だ』という不正確な先入観だ。弱い立場の人が出産しても社会的に支援する環境ができていない。貧困の中で育ち、教育や医療を十分受けられない人たちへの対策もせず、ただ『赤ん坊を愛し、産むべきだ』というのは偽善だ」 バーチ氏の願いは司法には届かなかった。中絶手術を受けた約半月後の4月9日、州最高裁は中絶禁止法の復活を認めた。州議会は中絶禁止法を廃止する法案を可決したが、すぐには適用されず、9月下旬には一時的に全面禁止になる見通しだ。中絶反対派の「勝利」とも言える結果だった。