食事も、人間関係も、「苦手なもの」だったから『ダンジョン飯』を描けた。ゲームの影響と共に掘り下げる、九井諒子の「好きと嫌いの活かし方」とは【ゲーム世代の作家たち】
『ダンジョン飯』。 「ダンジョンに潜り、迷宮内のモンスターを討伐して調理する」というユニークなテーマと、迷宮内で描かれる個性豊かなキャラクターや緻密な人間関係、奥深い世界観などが魅力的な漫画作品。現在アニメ化もされ、世界中の冒険者が『ダンジョン飯』の世界観に魅了されている。 『ダンジョン飯』画像・動画ギャラリー だから、ぼんやりと「この作品は、食べ物と人間が好きな人が描いているのかな」と思っていた。あれだけ美味しそうな食事の描写と、繊細な人間関係やキャラクターの構築。きっと、それが好きでたまらない人が描いているはず。 でも、実のところ作者の九井諒子先生は、「食も人間関係も、苦手なもの」なのだという。 では、なぜ「苦手なもの」を描き続けられたのか? およそ10年に渡った連載の中、「嫌いなもの」に向き合い続けた。そんな九井先生の、独特な創作術に迫る……と同時に、九井先生の「好きなもの」にも迫っている。 それが、「ゲーム」! 詳しい方はもうご存知かもしれないけど、九井先生はかなりのゲーマーでもある。そして『ダンジョン飯』にも、『ウィザードリィ』などを中心としたRPGからの影響が強く反映されているらしい。 結果として、「九井先生の好きなものと嫌いなものをいっぱい聞いてみました」というのが、今回のインタビューとなった。好きなもの、嫌いなもの。それはあらゆる興味と好奇心の源流。 では、どうやってそれを「創作」に活かすのか? その源流は、『ダンジョン飯』において、どのように現れているのか? あの魅力的なキャラクターは、奥深い世界観は、どのように構築されていったのか。「完結後だから話せること」を、原作者の九井諒子先生と、今作の担当編集を務めた広井優氏にたっぷりとお聞きした。 まさに、大迷宮くらいのボリュームでお届けしよう。 ぜひ、最終階まで踏破してほしい! ダンジョン飯。それは食うか食われるか。 そこには上も下もなく、ただひたすらに食は生の特権であった。 ダンジョン飯。ああ、ダンジョン飯。 聞き手/TAITAI・ジスマロック 編集/実存 ■最初に聞きたい、九井先生とゲームの出会い ──今回は、『ダンジョン飯』の源流となっている「ゲームからの影響」を中心にお聞きしていければと思います。まず、九井先生の原体験となっているゲームは、どういったタイトルなのでしょうか? 九井諒子氏(以下、九井氏): オーソドックスに、『ドラクエ』や『FF』といったRPGを遊んでいました。 おそらく初めて触ったゲーム機はファミコンだったと思うのですが、たしか親が懸賞で当ててきたものだったんです。だから、ファミコンはいつの間にか家にありました。その次のスーファミとPS1は親に買ってもらったのかな……。 そこからPS2あたりの時期はちょっとゲームから離れていたのですが、PS4くらいの時期になって、ようやく自分の稼いだお金でゲームを買えるようになりました。 ──PS2あたりの時期は、どうしてゲームから離れられていたのでしょう? 九井氏: 単純に受験をしなくちゃいけなくて、「まぁゲームしてちゃダメだよね」と離れました。そこからひとり暮らしを始めると、テレビがないからゲームを遊べませんでした。パソコンもMacでしたし。 ──そこからもう一度「ゲームを遊ぼう」と思ったのは、なにかキッカケがあったのでしょうか。 九井氏: そこは『ダンジョン飯』の連載を始めたのが、一番大きかったと思います。 「ファンタジー」って、みんなそれぞれ設定が違うし、一方で共通するものもあります。たとえば、「ファンタジー作品を作ろう」と思っても、『ドラクエ』しかファンタジーを知らなかった場合、それは『ドラクエ』になっちゃいます。ひとつの作品の設定だけ模倣してしまうのは怖いですよね。 だから、とにかくいろいろなファンタジーのゲームを遊びまくり、「この辺が最大公約数的なファンタジーの共通認識かな?」ということを、一応頭に入れておきたかったんです。 ──それは、『ダンジョン飯』の構想を練っている段階から遊び始められたのでしょうか? 九井氏: そうですね。「ご飯を食べる」話にするからには遊ばなくちゃな、と思ったのが「ご飯を食べるシステムがあるゲーム」です。 そこで気になっていたのが、『ダンジョンマスター』【※1】でした。ただ、『ダンジョンマスター』は当時手軽に実機で遊べる手段がなかったので、Macでもプレイできる『Legend of Grimrock』で遊びました。 それまでは海外ゲームやPCで遊ぶゲームに対してハードルを感じていたのですが、そこでひとつ越えられた感じがして。「あ、結構簡単なんだな」と思って、いろいろ遊び始めたのだと思います。 ──その2作はRPGの中でも結構重めなタイトルだと思うのですが、実際そこまで苦戦はなさらなかったのでしょうか? 九井氏: いや……どちらかというと「売れてるゲームはやっぱり遊びやすいな」という感想ですね(笑)。 私自身ゲームはそこまで上手くないので、難易度を調整できるタイトルは、めちゃくちゃ簡単な難易度で遊んでいます。だから、難易度を下げられるゲームには、いつも助けられています。 ──RPG以外にも『十三機兵防衛圏』や『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』といったゲームもお好きだとお聞きしたのですが、九井先生の中で「好きなジャンル」はあったりするのでしょうか。 九井氏: たぶん、「頭を使って試行錯誤する」感じのゲームがあんまり上手くないんです。 でも、RPGはとにかくレベルを上げて連打していれば勝てるし、ゲームも進みます。あと、ノベルタイプのゲームも、テキストを読んでいれば進められます。そんな消去法で、RPGとテキストを読むタイプのゲームは結構好きです。 個人的には、テキストが多くて、見下ろし型で、マップも探索できる『Disco Elysium』【※2】みたいなタイプのゲームが一番好きですね。 ……なんか、我ながらすごい消極的な理由ですね(笑)。 一同: (笑)。 広井優氏(以下、広井氏): でも、九井さんは本当にかなりの本数をプレイされてますよね。 九井氏: いや、たくさんプレイできているのはかなり薄情な遊び方をしているからで……。 とりあえず買ってみて、触って、そのままなんとなくもうプレイしないことも多いです。だから、クリアまで行くタイトルはそこまで多くなくて……1年に数本です。40本前後遊んで、5~6本クリアしたらいい方です。 ■「コミティアで描いていいですか」と言ったら、怒られました ──デジタルのRPG以外にも「ファンタジー」に触れられたりはしていたのでしょうか? 九井氏: ゲームだけじゃなくて、昔から海外のファンタジー小説が好きだったのも大きいと思います。『果てしない物語』や『指輪物語』『ナルニア国物語』などを買い与えてもらっていたので。 ──『ダンジョン飯』からは、いわゆる『ドラクエ』のような日本ファンタジーというより、そういったゲームブックやTRPGのような「洋ファンタジー」の雰囲気を感じます。 広井氏: たしか、連載が始まる前に九井さんの家に行ったんですよ。その時はまだ、何度もボツにしていた「脳の中を描く」というSF漫画のネームの相談をしていました。 九井さんはそのSF漫画を連載にしたいと言っていて……4稿目のくらいの時に「いや、これはもう無理じゃない?」と言いながら机の横にあった落書きのメモを見た時には、もうすでに「ダンジョン飯の原型」が描かれていましたよ?(笑) 九井氏: ……………いや、あんまり覚えてないです(笑)。 一同: (笑)。 九井氏: でも、連載を始める前から『ウィザードリィ』みたいな、「薄暗いダンジョンを探索する漫画」を描きたいとは思っていました。 もともと小学生の頃からノートに鉛筆で描いてた漫画も剣と魔法のファンタジーばかりだったので、一度はちゃんとした作品を描いておきたいなという気持ちがありました。でも、当時の書店には今ほどファンタジーの漫画がなくて「ファンタジーは売れないのかな」と思っていたんですよね。 広井氏: 当時、pixivをはじめとした絵を描く人が集まるネットコミュニティーには、ファンタジーのイラストを上げている10代~20代の人たちがたくさんいて、九井さんもそのうちのひとりでした。 だから、私としては「ファンタジーを描きたがっている人がこんなにいるんだから、この世代に向かってファンタジーを描いたら売れるんじゃない?」と思っていたんです。 そして、九井さんのメモを見た時に、自分の中でも「変にひねくれていないで、ファンタジー漫画をやろう」と思ったんですよね。 九井氏: でも、その「ダンジョンを探索する漫画」は当初趣味でやろうと思っていたので……広井さんに「まずコミティアで描いていいですか?」と聞いたら、怒られました。 一同: (笑)。 広井氏: 「コミティアで描くならちゃんと連載で描いてよ!」と言って(笑)。 でも、その時点で九井さんは短編集が2冊出ていた上に、重版もかかっていました。要するに、連載開始前から一定のファンがいらっしゃったんですね。 そこで、「そのファンの人たちに向けて純ファンタジーを描くのであれば、大失敗はないんじゃないか?」と判断しました。もしダメだったとしても、「やっぱりファンタジーは難しいね」という経験も得られますから。 ──ちなみに、九井先生と広井さんの間で、「ファンタジーが売れない」ことに関する議論などはあったのでしょうか? 九井氏: たしか、「ファンタジー漫画って売れないんですかね?」「なんか難しいっぽいね」という話をふんわりした記憶はあります。ライトノベルはあまり詳しくないので、ずっとあったかも。 でも、同時期にファンタジーを扱った漫画がいろいろと出てきたので、たぶん「過渡期」だったのかもしれないですね。ちょうどみんな「描きたいぜ」「読みたいぜ」という思いが高まってきた頃だったのかも。 ■私が好きなものは、みんなそれほど興味ない ──それこそ、『ダンジョン飯』はファンタジーというジャンルに新たな風を吹き込んだタイトルだと感じています。「ファンタジー」を扱うにあたっての設定や世界観の構築などは、どのように行われていたのでしょうか? 九井氏: 基本的に、「私が好きなものはみんなそれほど興味ない」と思うようにしています。 どうでもいい設定を延々と考えるのが好きなんですが、「実際にこの設定を漫画にした時、みんなは多分この話に興味がないな」と思う瞬間があったりします。なので興味をもってもらえるものを入れたり、集中力を削ぐものはなるべく削ったり……。 たとえば、『ダンジョン飯』でも当初はみんなにいろいろな国の言葉をしゃべらせたかったんです。その上で「この人は一か国語しかしゃべれない」といったキャラづけをしたかったんですが……広井さんから「それはやめとけ」って(笑)。 一同: (笑)。 九井氏: 自分で描いていても、「この設定を説明するのに6コマ以上はいるな……」と思うし、必要以上に設定を語ってしまうと、話のテンポも悪くなります。 しかも『ダンジョン飯』は月刊連載だったので、週刊と違ってあまり余計な話をしているヒマがありませんでした。具体的には、ひと月に30ページ前後でひとつのエピソードを描く必要がありました。 そうなると、「実は裏でこんなことを考えていた」「実は二か国語をしゃべれる」といった設定を入れているヒマが、全然ありませんでした。だから、なにか明確な取捨選択があったというより、「普通にやっているヒマがなかった」ということが結構あります。もし週刊連載だったら、もっと入れていたかもしれないです。 ──チルチャックが母国語で罵倒しているシーンは、割と「ねじこめた」感じなのでしょうか。 九井氏: そうですね(笑)。 「1コマでいける……チャンス!」という感じで。 ──そういった「架空の言語」に関しても、すべて考えきっているわけではないということですか。 九井氏: もしその作品がライフワークで、「一生をかけてこの世界を作り上げていく」という場合には考えた方が楽しいと思いますが……当初、『ダンジョン飯』は数年で終わると思っていましたし。 広井氏: 当初は「5巻くらい続いたらいいね」とか言ってましたよね(笑)。 ただ、九井さんの初稿は本当にネタが多くて……やっぱり編集側は削ることが多いですね。読者的には読みたい部分だとは理解しているのですが、本筋からズレてしまう部分は削ります。だからもう、「削られたくない作者」と「削りたい編集」の戦いですよね。 ──ちなみに「削りたい部分」と「削られたくない部分」ではどういったやり取りがあったのでしょうか。 九井氏: 毎回たくさんありましたけど、今となっては具体的に思い出せませんね……削られるのって本当にどうでもいい小ネタなので。 炎竜で作ったソーセージが血だまりに戻っていくという場面は、「これいらないでしょ」と言って削られそうになったのを、「あとで要るから!」といって必死に阻止した記憶はあります。削られなくてよかったです。 でも、一度設定を考えると入れたくなっちゃうし、削られちゃうから、最初は世界をそんなに広げたくなかったんです。 お話もダンジョンの中だけで完結させようと思っていました。なるべく国の名前も出したくなかったし、キャラクターに名字もつけたくなかった。でも、後半になって広井さんから「世界が狭いから、もっと大きくした方がいい」と言われるようになって、「いいの!?」って。 ──広井さんは、どうしてそういったことをおっしゃられていたのでしょう? 広井氏: 後半になるにつれて、『ダンジョン飯』という作品が「ダンジョンで妹を救うだけの話」ではなくなってしまったんです。そこで「世界の運命を左右する話なのに、外の世界が全く関わらないのは説得力がないのでは?」と判断しました。 たとえば、現実の会社でもなにか重要な決定を下そうと思った時ほど、上長のランクが上がっていくじゃないですか。そう考えた時、ライオスたちだけで世界の運命を決定することにやっぱり違和感がありました。「一切外部に知られずに、その決定ができるわけないのでは?」と。 広井氏: それこそあの場にカナリア隊がいるということは、その事実を向こうの上長が知らないわけがないんです。ここには絶対に報・連・相があるはずですし、「社会」や「組織」とはそういうものですよね。 要するに、その状況に対して「世界を救うことに組織が関わるとして、現代の社会システムを鑑みてどのくらいの説得力を持たせられるか」を考えていたのだと思います。 九井氏: 一応、話の筋が変わっているわけではないです。 最初から「世界を救う話」を描くつもりではあったのですが、私としては「ダンジョンの中で、一部の人だけが事情を知りながら世界を救う」ことも可能だと思っていました。そこに、広井さんが説得力を考えてくださった形ですね。 前半を描いていた頃、広井さんからは「まだ何もしなくていい」と言われたんです。私ははやくストーリーを進めなくちゃ、世界観の説明をしなくちゃって焦っていたんですが、「4巻くらいまでは4人の紹介に留めた方がいい」と言われて。なのに、後半は「もっと人を出せ、世界を広くしろ」って……。 一同: (笑)。 広井氏: 九井さんとしては「当初と言ってることが違うじゃねーか!」と(笑)。 でも、両方とも意味があったんです……。 九井氏: 私のほうが「そこで世界を広げたら(話が)終わらないでしょう……?」と言ったりして……。 改めて最後まで描いてみて、「抑えるところと広げるところの塩梅は、思っていた通りにはいかないな」と痛感しました。『ダンジョン飯』の連載が長引いてしまったのは、この理由もあると思います。 ──ですが、『ダンジョン飯』は登場人物も多く登場していて、人間関係も複雑に構築されています。それこそ『胎界主』【※3】の相関図も九井先生が作られたとお聞きしましたが……。 九井氏: いや、作ってないです! ──えっ、違うんですか!? 九井氏: 正確には、「wikiのアカウントを取っただけ」ですね。 『胎界主』を読み始めた時、設定の難しさや登場人物の多さに苦労して……「説明や登場人物一覧があれば読みやすいのに」と思いました。 それで読者が感想を交わし合ってる掲示板を探して「まとめのようなものはないのか」と聞いたら「ない」とのことだったので。「じゃあ場所があれば詳しい人がまとめてくれるかな?」と思い、wikiのアカウントだけ取りました。 だから、編集そのものはしていないんです。いつの間にか他の人の手柄を横取りした形になっていて、申し訳ないです……。 ■食に「罪悪感」があるところから、連載が始まっている? ──『ダンジョン飯』は、当初「モンスターを調理する」というキャッチーな流れで始まり、少しずつダークな側面や奥深い世界が提示されていきました。あの「少しずつダークな部分が見えていく」という構成は、当初から考えられていたのでしょうか? 九井氏: 連載するからにはなにかテーマが必要だなと思って、とりあえず「食育」にしてみようかと。当時グルメ漫画はたくさんありましたが、そっち方面はまだあまりないような気がしたので。 ──テーマが「食育」だと思うと、作中の料理に栄養価がしっかり書かれているのにも納得感があります。 九井氏: テーマに「食育」を置いて、ざっくりとした作品の流れも考えました。さらわれた姫を助け出し、悪い魔法使いを倒し、ラスボスも倒し、王様になる……骨組みはかなりシンプルに。 でも、実際にそれを計画通りに進めようとした時に「いや、こんなに軽くやれないなこの話……」と気づきました。最初はもうちょっと軽いノリでササっと描けると思っていたんです。 広井氏: 最初、レッドドラゴン戦を1話で終わらせようとしてましたよね? こっちはもう「終われるかーっ!」って(笑)。 一同: (笑)。 九井氏: 実際に1話で描こうとしたらすごくダイジェストっぽくなってしまい……この「思っていた話をやるためには、思っていたよりしっかり描かなきゃいけない」ということは、予想外でしたね……。 ──「食」というテーマに対し、なにか九井先生の中で特別な思いなどがあったりしたのでしょうか? 九井氏: いや……うーん……どちらかというと「食」には恨みが強いです。 子供の頃からものすごく偏食で、食事の時間が苦痛でした。人前で食事をするのが嫌だったし、人が食事をするところを見るのも嫌な時期があって、滅多に人が来ないトイレを探して、いわゆる「便所メシ」もしていました。 私がしていた当時は「便所メシ」という言葉がなかったので、実際に世の中に「便所メシ」という言葉が世の中に出てきた時には「みんなやってたんだ!」とめちゃくちゃ喜びました。 一同: (笑)。 九井氏: 「こんなことするのは最低だよね……?」と思いながらやっていたことが、他の人もやっていたのだと思うとほっとしましたね。 ──そんな中で「食育」というテーマを選ばれたのは、なにかキッカケがあったのでしょうか。 九井氏: 偏食に手を焼いた親が、「三角食べ」をはじめ、いろいろなことを教えてくれたのですが、その甲斐もなく偏食のまま大人になってしまいました。食育に関する知識は親から埋め込まれていたのですが、実践はできていませんでした。 だから、食べ物や食に対してすごく罪悪感を感じることだけは残っていて……。 広井氏: 冷静に考えると、すごくネガティブなところから連載が始まってますよね。 九井氏: でも、現在は人との食事は克服……というか、むしろ好きになりました。 編集さんがいろいろ美味しいところに連れて行ってくれるので。 ──私も学生の頃、学校のうどんを残そうとしたら先生にバレて、ひとりだけパックのうどん単体を食べさせられたことがありました。汁もなく、うどん単体で食べるのがすごく辛かったです。 九井氏: 辛いですよね。 私もこっそり隠そうとしたら先生に見つかって、めちゃくちゃ怒られたりしました。 広井氏: 私も引き出しの中に隠そうとしたことはありますね。 そのあと、干からびた何かが引き出しの中から出てきて……(苦笑)。 ■「嫌いなもの」を、なぜ描けるのか ──むしろ、「苦手だからこそ食への解像度が高くなる」ところもあるのでしょうか? 九井氏: 興味があるから、嫌ったり好きになったりするのかなと思います。 それについて考える時間も必然的に多くなりますし。 それこそ『ダンジョン飯』も食をいっぱい描いているから「食べるのが好きなのかな?」と思われるかもしれないのですが、むしろ「嫌いなものだから描いている」ことが結構あります。 ──食以外にも、「嫌いなもの」を描かれているということですか? 九井氏: かもしれません。たとえば、人間関係とか、現代とか、服飾とか……? ──『ダンジョン飯』におけるキャラ同士の関係性も、人間関係が苦手だからこそ繊細に描けている部分があるのでしょうか。 九井氏: 昔から「(この人、普段はこんなにそっけないのに、他の人の前ではすごく魅力的な笑顔をするんだ)」みたいなことがとても不思議で……。 自分もそうですけど、「人って、人によって違うよね。見せる面が」と思っていたというか。「なんだかなー」と思うからこそ目に付くというか……。 ──素朴な疑問なのですが、「嫌いなものを描く」時、九井先生はどんな気持ちで描かれているのでしょう? どんなに嫌なものであっても、割と楽しく描けてしまうのでしょうか。 九井氏: 漫画のできごとは直接私とは関わらない話なので、嫌いなものも嫌ではないです。あと良いところを探しながら描いていると、新しい発見に繋がったりもするし。 あと、「好きなものだけを描くのは怖い」というのもあったりしますね。 作品は「何をカメラで写すのか」が重要で、わざわざ汚いものを写す必要はないけど、同時に「カメラの外には都合の悪いものや、汚いもの、嫌なものはいっぱいある」ということだけは念頭に置いた方が、世界は広く見えるんじゃないかな……という気持ちで描いています。 ゲームを遊んでいる時も、「ゲームの画面の中の世界」しか感じないようなゲームと、「画面の向こう側にもいっぱい人が住んでいて、その世界の人が旅行しようと思えばどこまでも行けそう」だと感じるゲームでは、後者の方が遊んでいて楽しいなと思います。 そこの「世界の広がりを感じさせるかどうか」を、どう表現すればいいのかはいつも考えていて……やっぱり自分としても、「世界がある」ゲームが好きですね。 ──そういったゲーム側の表現を漫画に取り入れたりはされるのでしょうか? 九井氏: 逆に、そこは「取り入れられない部分」だと思っています。 ゲームの一番いいところは、その人によって体験が違うことです。それこそエンディングがいっぱい用意されているゲームは、それが今まで自分がやってきたことに対するリザルト画面でもある。ああいうのを見ると、「すごくいいなぁ」と思います。 個人的には、そこがゲーム最大の魅力だと思うし、プレイヤーのいない漫画では絶対に真似できない部分だと思います。 ■そんなにお忙しいのに、いつゲームしてるんですか? ──個人的に気になっているのですが、九井先生は「ゲームを遊ぶ時間」をどのように捻出されているのでしょうか? 漫画家のお仕事もお忙しい中で、かなりの本数をプレイされていますよね。 九井氏: 一応、寝る前や原稿作業の合間の休憩時間に、Steam Deckを触っていることが多いです。むしろ、今はほとんどSteam Deckしか触っていないですね。枕元に置いてあるので、それを持って寝る前に遊んだり、休憩中にプレイしたり……といった感じです。 ──Steam Deckって、やっぱり便利ですか? 九井氏: オススメです。 画面は小さいですが、『Cyberpunk 2077』も動いたりします。 あと、個人的にゲームを起動するためにPCをつけるのがめんどくさくなってしまって……Steam Deckは寝転がっていても、電源をつけるだけですぐに起動してくれます。 九井氏: 逆に、ライターさんは普段どうやってゲームを遊ばれているんですか? それこそ、お仕事でゲームを遊ばなきゃいけない時もありますよね。 ──私は仕事の場合、遊ぶ前にプレイ時間を逆算していて……60時間くらいでクリアできるゲームの場合は、一日に3時間遊んで、それを20日続けてクリアするような目算を考えることが多いです。 広井氏: めちゃくちゃ「仕事」ですね!? 九井氏: すごいな……やっぱり「ゲーマーの素質」がありますよね。 昔からゲームを遊ぶにも素質があるよなと思っていて……私自身はそのへんがあんまりないんです。ちょっと難しいゲームを渡されたら、すぐに嫌になってしまうし、試行錯誤もあまり得意ではありません。楽しめる範囲がとても狭い。 世のゲーム開発者の人たちも、「あまりゲーマーの素質がない人にも広く遊んでもらうのか」「ディープに遊べるキワキワのゲームを作るのか」で、悩んでいるのかなと考えたりします。これは漫画でも、同じ悩みがあったりしますね。 自分がうまく遊べなかったゲームがあると、作った人が、「ついてこれない奴におもねる必要はない」と判断したんだなと思って嬉しいです。遊べないんですけど。 ──ちなみに、九井先生がゲームを遊ばれる時は、普通に「趣味」として遊ばれているのでしょうか。それとも漫画のネタ探しとしてプレイされることの方が多いのでしょうか。 九井氏: もちろん趣味で遊んでいるところも大きいのですが、「ゲームを買う時の罪悪感」は仕事の糧になるかもしれないから、で解消されていますね(笑)。 そんなに興味がないゲームだったとしても「仕事のためになるかもしれない」と思えば買う勇気が湧くし、どんなに高いゲーミングPCも仕事道具だと思えば買えたりします。だから、ゲームに関するいろいろなことのハードルが「仕事のため」という理由で低くなっていますね。 ──では、漫画を読まれる時も「仕事のため」という気持ちだったりするのでしょうか? 九井氏: 私の場合、漫画はもう仕事になってしまったので……読んでいるとどうしても仕事のことを思い出してしまう。 ただ、ゲームはまだ普通に「趣味」として楽しめています。だからこそ、あまりこの趣味を失いたくなくて……仕事で関わってしまうと純粋に楽しめなくなりそうなのもあって、ゲームに関するお仕事は受けていません。 ■世界の奥深さは、「あえて決めていないこと」から? ──事前に、『ダンジョン飯』は「説明する部分」と「説明しない部分」をハッキリ意識した上で描かれているとお聞きしたのですが、そこを詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか? 九井氏: 色々なファンタジー小説やゲームに触れてきて、「気持ちが挫ける瞬間」は、「横文字の連発」なのかなと思いました。「〇〇の〇〇の〇〇」といった時に、カタカナが3つ以上出ると読み飛ばされる確率が高くなる。 だから、なるべく町の名前も「隣町」と言い換えたり、回想で登場するキャラもフルネームではなく「おじさん」と言い換えたりして、説明をしなくても読者がわかるようにしています。 『ダンジョン飯』の戦闘中に使われる魔法なども、「絵で見たらどんな魔法かわかる」くらいの描写にしています。 ──『ダンジョン飯』の「あえて設定を固めていない部分」は、他に挙げるとしたらどういった点になるのでしょう? 九井氏: 「数字」と「言語」はなるべく触りたくない設定の筆頭です。たとえば、「〇月生まれ」という誕生月を決めるだけで、まず「この世界には月がある」ことが確定します。さらにそこから、「じゃあ重力もあるんだ」ということまで決まってしまいます。 もっと言うと、「誕生日」の概念があるだけで、「1年」という括りがあり、その世界が365日周期であることが決まります。全部が全部、ちょっと引っかかるところになってしまうんですよね。 でも逆に、詳細に設定を決めて「この国の通貨は1ゴールドで5円分」といった形にしてしまうと、読者には負担をかけるようになってしまう。作品を読んでいる時に、いちいち読者の頭の中で「1ゴールド=5円」に変換することを強いてしまいます。そこは、できる限り「読みやすさ優先」で描いていますね。 ただ、本当の意味で「ファンタジー」をやるなら、その世界の暦やメートル法にあたる何かを作ったほうが世界に入り込めるので、そこの塩梅は難しいですよね……。 ──その「あえて説明をしない」というスタイル自体が、かなりすごいものだと思います。 広井氏: そこは、『ダンジョン飯』がふざけたタイトル名なのも確実にあると思っています。 読者にとっての「マインドセット」が少し違うというか……一番最初の時点で、「この作品はそんなに難しいことは言ってこないはず」という認識を持たせられているんじゃないでしょうか。 九井氏: あと、「キャラクターの名前」も、ちょっと考えながらつける部分でしたね。 たとえば、『ウィザードリィ』の主人公キャラには、最初から「戦士」や「魔法使い」という職業に対応した名前がつけられています。『ダンジョン飯』の「センシ」はそこから取っていて……「あそこの人を活躍させたいな」と思ったところから命名しました。 だから、センシの海外版の名前は「Fighter」にしてもらいたかったのですが、海外の読者さんが「どういうこと……!?」と感じてしまいそうだったので、私の頭の中に留めておきました。 ──『ダンジョン飯』のキャラ名は、割と3~4文字くらいでいい感じに収まっていますよね。 九井氏: 名前が長くなると、フキダシに収まらなくなるんですよね……。 大体ふきだし内の一行は7~8文字くらいまでが読みやすいと言われています。 だから、「チルチャック」とかはすごい長くて……本当は「チル」という略称をもっと使えるだろうと思って命名したところもあるのですが、あまり上手くいかず結果的にはずっと「チルチャック」と呼んでいました。私としても、「長いなぁ」と思いながら描いていました(笑)。 一同: (笑)。 九井氏: とにかく、「4文字くらいが助かるかな」という漫画的な都合は結構ありますね。 ──ちなみに、『ダンジョン飯』のキャラ名にはなにかしらの命名法則があったりするのでしょうか? 九井氏: 緻密にはないのですが、「作中の設定」と「自分が楽しむだけのメタ的な設定」があったりします。 たとえば、シュローのパーティは「そういうプレイヤーがつけた名前」なんですよね。『ウィザードリィ』のようなゲームをする時に、「紅茶縛り」で名前をつけたりする人がいるじゃないですか。そういう感じで、メタ的にはシュローパーティは植物縛りで命名したプレイヤーが遊んでいるイメージです。 しかも、プレイヤーは女の子が好きだからパーティメンバーも女の子ばっかりとか、そういう……(笑)。 広井氏: えっ、それ知らなかったけど! 九井氏: ……という自分だけのお楽しみもありつつ、「女性中心でパーティーを組んでいるのはなぜか」「なぜ名前に共通点があるのか」といった疑問から、キャラ作りができることもある。 ただ、この辺の設定も作中で発表したところでお話が面白くなるわけでもないので、あくまで「自分の中だけの設定」ですね。 ──その「あえて出していない設定」というのは、具体例を挙げるとどういったものになるのでしょうか? 広井氏: 私が「エルフの国をもうちょっと具体的に描いてほしい」と言った時に、九井さんと「それは描きすぎている」という話になったのは未だに覚えていますね。 それこそドワーフの国は割と描写されていたので、個人的にはもうちょっと出してもいいんじゃないかと思ったんですが……。 九井氏: そこを描いちゃうと、読者の想像力を狭めるような気がしたんですよね。 「なにかがありそうに見えるライン」というものが確実にあって、読者の想像力に任せた方がいい部分に関しては、あえて「描かない」という選択肢を取ることが多いです。 あとこちらが、「読み流していいよ」というつもりで出した設定も、読者は結構憶えようと頑張ってくれるので……。 ■すべての始まりは、「鼻からそばを食べる」漫画 ──少し話が戻りますが、九井先生と広井さんの出会いはどういった形だったのでしょうか? 広井氏: こちらからスカウトした形だったと思います。 九井さんがPixivに載せていた短編を見て、直接「マンガ描きませんか?」というメールを送りました。たしか、「鼻からそばを食べる」という4コマ漫画がすごく面白かったんですよね。鼻からそばを食べて、「イタタ」と痛がる内容の漫画で……それを見た時の「うわ、痛そう」と感じる画力に惹かれたのだと思います(笑)。 そして声をかけたところから、今に至ります。 九井氏: えっ、そうだったんですか……? 『進学天使』【※4】とかじゃないんですか。 広井氏: 違いますよ! 鼻からそばを食べる漫画は『進学天使』より前でした。ちなみにその漫画は『ラクガキ本』に載せる予定だったのですが、九井さんに「これ掲載していいですか?」と聞いたら、すごく嫌がられたという……。 九井氏: いや、別にいいですけど……それ他の人にはそんなに面白くないと思いますよ。 一同: (笑)。 広井氏: でも、それがもう10年以上前の話ですからね……。 ──ちなみに、九井先生に出版社から声がかかったのは広井さんが初めてだったのでしょうか? 九井氏: その前に、イースト・プレスの編集さんが声をかけてくれていました。元々趣味で描いたファンタジー漫画を個人サイトで発表していました。それをまとめて同人誌にしてコミティアに出たところ、「この長編漫画を単行本にしてみませんか?」と声をかけていただいたんです。 ただ、その編集さんがいろいろな人に聞いて回ったところ、「これは売りづらいだろう」という話になったらしく……その話はなくなりました。代わりに、同時期に発表していた短編漫画を「短編集」として発売することになりました。それがイースト・プレスさんから出ている『竜の学校は山の上 九井諒子作品集』ですね。 それ以外にもいくつかご連絡をいただいたりしていたのですが、今でもお付き合いがあるのは広井さんとイースト・プレスの編集さんのおふたりですね。 ──短編やWebマンガを描いていた頃から商業で連載を始めるにあたって、なにか「連載作品の描き方」などは勉強されたりしたのでしょうか? 九井氏: 漫画の描き方はほぼすべて、広井さんとハルタの編集者さん・作家さんたちから学びました。 コマ割りの善し悪しが全然わからなくて、連載中頃あたりまでは毎回、ネームを1コマ1コマ並び替えたり、「ここにこんなコマを置くな」と説教されたりして。 あと他の作家さんの生原稿などを見せて貰って、感動したりもしました。印刷で見ても綺麗なんですけど、実物はもっと迫力あるんですよね。漫画の絵がうまいってこういうことか~って。 ■思ったより、全然完結しなかった ──「連載」でいうと、さきほど「当初は5巻くらいで終わらせるつもりだった」というお話が出ていましたよね。九井先生の中では、『ダンジョン飯』は想定より長く続いた形なのでしょうか? 九井氏: まず「連載」の感覚がよくわからなかったので、「何ページでどのくらいの話を進められるのか」も把握していませんでした。だから、当初は「5年くらいで、5巻でうまく話を完結させられる」と思っていました。 でも、ぜんぜん完結しませんでした。 いやぁ、大変なんだなぁ……って(笑)。 広井氏: 正直最初に「5巻」と言っていた時は内心「(ウソだろ……?)」と思ってましたよ。口では言わなかったですけど(笑)。 ──正直読者としても4~5巻のレッドドラゴン戦付近で「あれ?そろそろ終わりそう……?」とは感じていました。 九井氏: 当初の段階から、「折り返しでレッドドラゴンを倒す」のを目標にしていました。でも、5巻想定だったのに、4巻でレッドドラゴンと戦っている。そこで「あれ?終わってないじゃん」と思い、段々と気が遠くなりました。 もう、10巻くらいになると、描いても描いても終わらないような気持ちになりました。別に引き伸ばしたいわけではなかったのですが、どれだけ描いても全然終わりませんでした。 広井氏: 編集から見ても、10巻あたりから九井さんはすごく焦られていましたね。 ──長期に渡った『ダンジョン飯』の連載を終えてみて、なにか心境の変化などはありましたか? 九井氏: やっぱり、「このくらいの規模の話を描くなら、10年かかる」という経験を得られたのが大きいですね。そしてこの先の寿命と、あと何作描けるかを考えると……気が遠くなりますね。 広井氏: もう、常に気が遠くなってるじゃないですか……。 ──九井先生の頭の中には「描きたい作品」がまだあったりするのでしょうか? 九井氏: そんなにはないです。でも、漫画を描くのが好きなので、いっぱい描きたいなとは思っています。また10巻続けられる体力があるのかどうかもわからないですけど、漫画家という仕事をなんとか続けていきたいですね。 でも、たぶん……次はそこまで売れないんじゃないかな……。 広井氏: やめて! そんなこと言わないで!! 一同: (笑)。 九井氏: その点でいうと、『ダンジョン飯』は売れてくれたので、イメージしていたものを最後まで描ききれました。今度は、逆の「売れなかった場合」を想定して、もっと短くまとめることも考えた方がいいと思っています。 そこが、次の新しい課題ですかね。 ──次回作への期待もそうですが、九井先生はなにか「プレッシャー」を感じられたりはするのでしょうか? 九井氏: 私の場合、初めて出した短編集が割と評判がよかったんです。初めて描いた漫画にしては、という程度ですけど。 それはそれで安心したのですが、同時に「次回作も評判が右肩上がりになるのが理想だけど、絶対に波はある」と感じました。もし、次の評判がダメだった時に腐らずに描けるのかどうか……まさに「自分との戦い」が始まったばかりなんだと自覚して、1冊目の時にゾッとしましたね。 ■九井先生にとっての「絵がかわいいゲーム」 九井氏: 全然話が変わってしまうのですが、ライターさんは『サガフロ2』【※5】を遊ばれてましたよね。『サガフロ2』のドット絵、すごくかわいくないですか? ──『サガフロ2』のドット絵は……最高ですよね! 九井氏: 『サガフロ2』の絵は、あの絶妙なバランスがすごくて……あれを絵で表現しようとすると、あのかわいさが再現できないんですよね。「絶妙な頭身」というか。 ──九井先生的に、「絵がかわいいゲーム」はあったりしますか? 九井氏: やっぱり、真っ先に思い浮かぶのは『サガフロ2』ですね。あと、『ファイナルファンタジー タクティクス』【※6】のキャラデザがすごくかわいかったのは今でも覚えています。 でも、昔は『FF7』のキャラクターをトレスとかしていましたね。 「世の中にはこんなにカッコいい絵柄があるんだ……」と思いました(笑)。 広井氏: 野村(哲也)さんの絵はやっぱりすごいですよね! 九井氏: トレーシングペーパーでクラウドとエアリスをなぞって、ひとりで静かに「カッコいい……」と盛り上がってましたね。 九井氏: 『ダンジョン飯』のアニメに関わらせてもらう中で、ひとつ気づいたことがあって……基本的にゲームやアニメって、多くの人で作り上げるものじゃないですか。だから、「多くの人がいろいろな意見を出して作っているんだろうな」と、ずっと思っていました。 でも、現場に入って「結構ひとりの力が大きいんだな」と気づきました。これが割と意外だったんですよね。脚本や絵コンテを作る人も複数人いて、それぞれ担当を持って作っているのかなと思っていたのですが……割とひとりの力が大きいですよね。 ──どれだけ分業化しても、それをまとめ上げるディレクターや監督の存在は重要ですよね。 九井氏: そう、結局「音頭を取る人」の力によって左右されるというか……。 ただ、それと同時に脚本や絵コンテがわかれている分業スタイルは、漫画だと絶対にできないことでもあると思います。結局ひとりの頭ですべてを作らないといけないから、どうしても「偏り」が生まれてしまうんですよね。だから個人的には、「ひとりの頭の中で作られた世界」になってしまうのが嫌だなという気持ちはあったりします。 広井氏: ただ、漫画に限らず小説なども、個人の作家性が強く出ますよね。 「思想」とまでは言わないですけど……その人の考え方が強く出るというか。 九井氏: それで言うと、インディーゲームなどのひとりでゲームを作られている人もすごいですよね。 よく漫画家は「ひとりで絵も話も全部考えている」と言われますが、音楽もプログラミングも絵もひとりで作っている個人ゲーム制作者の方には、かなわないなと思います。 しかも、漫画以上に完成するまで誰の判断も得られない。そう考えると、個人ゲーム制作はマジの「ひとりの戦い」ですよね。同時に、そういう「あまりコストを考えて作られていない作品」が結構あるのがゲームの好きなところで……私はそれをちょっとすすって楽しんでいますね。 ──九井先生自身は、「ゲームを作ろう」とは思われないのでしょうか? 九井氏: 私は昔、『RPGツクール』を買って見事に頓挫しているので……(笑)。 一同: (笑)。 ■『ダンジョン飯』に大きく影響を与えた「古典系RPG」への愛 ──それだけSteamなどで多くのタイトルを遊ばれている九井先生にお聞きしてみたいのですが、なにか「ゲームを遊んでいて困ったこと」などはあったりしますか? 九井氏: シンプルに「動かないゲーム」は困ります(笑)。 Steamの個人で作られているゲームだと、たまにあったりして……レビューも全然ついてないから、直接問い合わせる以外、対策がないんです。「どうしたらいいんだろう?」と困ったことが何回かありますね。 他にも、たまたまSteamのトップに出てきたタイトルを買うこともあります。「なんかグラフィックがかわいいからやってみよう」と思って遊んだら、枠組み以外未完成だったこともありました。 ──もうそのくらいメジャーではないタイトルも遊ばれるんですね。 九井氏: あと、『Disco Elysium』に影響を与えたと言われている『Planescape: Torment』【※7】を遊んだ時のことが、かなり印象的でした。 プレイしている最中、「身体中が臭くなってベトベトになる」という最悪な呪いをかけられて困っているキャラが出てきたんです。その呪いをかけたNPCに解呪を頼むクエストが発生していたのですが、いざ呪いを解いてくれるようにお願いしたら、逆にこっちが「しゃっくりが止まらなくなる呪い」をかけられて……。 だから、その辺の街を歩いている時もずっと「ヒック」というしゃっくりのダイアログが出るようになったんです。しかも、そのたびに0.1秒くらいしゃっくりで硬直します。ダイアログも全部「ヒック」で埋まるし。とにかく、微妙に困る呪いでした。 これも全然対処法がわからなかったので、とりあえず呪いをかけてきたNPCを殺してみたんです。そのNPCから「殺してみたらその呪いが解けるかもよ?」という挑発も受けていたので、試しに殺してみたら……全然解けなくて(笑)。 一同: (笑)。 九井氏: もしかしたら他の場所でクエストが進展するかもと思い、あちこちを歩き回ってみたのですが、呪いは結局解けませんでした。どうしても気になったので、海外の情報交換のスレッドを遡ってみたところ、「何も考えずに重要なNPCを殺すとどうなるかわかっただろう?」みたいな説教が出てきました。 そこで、「もうこの呪いは二度と解けないらしい」ということだけがうっすらとわかりました。巻き戻すにしてもオートセーブだったので、ほぼ最初の状態まで戻らなきゃいけなくなって……本当にもう……困りました! ──しかし『Planescape: Torment』とは、中々すごいところを突きますね。それもSteamを見ていて、たまたま目に入ったような形なのでしょうか? 九井氏: 元々『バルダーズ・ゲート』のような系統のゲームが好きだったので、『Planescape』もそこから入ったのだと思います。 あと、『Planescape』のすごいテキスト量を個人の方がひとりで翻訳されている……という情報を目にした。私はあまり英語が得意ではないし、『Planescape』のようなゲームはそもそものテキスト量が多いので、日本語訳されていないと手も足も出ないんですよね。 でも、『Planescape』のように奇特な方が人生の貴重な時間を使って偉業を成し遂げてくれたりするので……すごくありがたく感じます。 ──やはり九井先生はどちらかというと古典寄りのゲームがお好きなのでしょうか。 九井氏: そうですね。初めて遊んだ『The Elder Scrolls V: Skyrim』【※8】があまりに面白くて、「スカイリム 似たようなゲーム」で検索して出てきたゲームを色々遊びました。 どれも『スカイリム』とは全然違うゲームだったのですが、面白かったですね。ただ、「古いゲーム」が好きなわけではないです。基本的には新しいものの方が、洗練されていてうまく作られてると思いますね。 ──それこそ『ダンジョン飯』に影響を与えている『ウィザードリィ』も、古典系の作品になりますよね。 九井氏: 子供の頃、私の父が『ウィザードリィV 災渦の中心』をプレイしているところを見ていたんですよね。そこから時間が経ち、大人になってからふと「そういえばなんかウィザードリィっていうゲームあったな」と思い出して……その時実際にプレイしたのが『ウィザードリィⅥ 禁断の魔筆』でした。 一応『ウィザードリィV』もプレイしたのですが、呪文を唱えないとマップが見られないのが辛かったんですよね。方向音痴だったので、手元に攻略本を用意していても進められなくなってしまいました。 ──ちなみに、TRPGの『D&D』などではなく、『ウィザードリィ』の方が「これを漫画にしてみたい」という思いが強かったのでしょうか? 九井氏: ファンタジーを調べていた時期に『D&D』もよく名前が挙げられていたのですが……そもそもそれまで「TRPG」の存在を知らなかったんです。まず友達がいないとプレイできないし、「みんなそんな遊び方ができる友達がいるんだ……!?」ということが衝撃でした。 一同: (笑)。 九井氏: だから、WikipediaなどでTRPGの項目を調べたりした時も、本当にこんな遊びが行われていることを全然想像できなくて。「えっ、本当にロールプレイするんですか……?人前で?」という困惑の方が大きかったですね。 そこからYouTubeでリプレイ動画などを見て、初めて「こういうことが行われていたんだ」と納得できました。 ■ゲーム、漫画、小説。あらゆる創作物は何のためにあるのか ──逆に、九井先生が直近でプレイされたゲームはなんでしょう? 九井氏: 最近は『Let's School』という学校経営のゲームを遊びました。 『My Time at Sandrock』などを作っていた中国の会社のゲームですね。 広井氏: 九井さん、ホントにそういうゲーム好きですよね……(笑)。 あれ? 『FF7 リバース』はやってないんですか? 九井氏: 『FF7』のリメイクは完結したらやろうかなと。 広井氏: いやいや、今のうちにやらないと終わらないから! ずっと先になるよ! ──正直、私も『FF7 リバース』が出るまで10年くらいかかるんじゃないかと思ってました。 広井氏: 私もそのくらいかかるかなと……本当に「私の目が見えるうちに完結してほしい」と思ってました。だから、やってよ! 九井氏: 完結したらね……一気に遊びたいから(笑)。 ──九井先生と広井さんの間で、ゲームについて話されることは多いんですか? 広井氏: 九井さんから「このゲームについて話したいから遊んでほしい」と言われることはありますね。『Red Dead Redemption』などは、そこからプレイしました。あと、だいぶ前ですが『十三機兵防衛圏』も九井さんからオススメされましたよ。 九井氏: 誰かと内容について話し合いたいゲームがあるときは、とりあえず広井さんにオススメします。 でも、最近はあまりゲームを遊ばなくなったかもしれないです。これまでは「仕事のため」と思って遊んでいたのですが、連載が終わったいまはプレイする本数も減りましたね。 しかも、私はひとつのゲームをそこまでやりこむタイプではなくて……周回プレイも基本的にはしませんし、ストーリーを終えたらそこで満足することが多いです。 広井氏: じゃあ、早く連載始めないとね。 一同: (笑)。 ──個人的にお聞きしたいのですが、九井先生の「おすすめのインディーゲーム」はあったりしますか? 九井氏: 『Papers, Please』と『Return of the Obra Dinn』は、すごくオススメです。 まず『Papers, Please』はシンプルな「間違い探し」のゲームだから、私も最初はあまり期待していなかったんです。でも、遊んでみたら、ちゃんと「世界がある」感じがしました。あと、普通にストーリーの続きが気になるんですよね。 そして『Return of the Obra Dinn』も、雰囲気がよかったですね。謎解きはよく見ればちゃんとヒントがあるけど、ごり押しもいける丁度いいバランスで、音楽と演出もかっこよかった。 広井氏: そういえば、連載が終わってから小説を結構読んでましたよね? 九井氏: あぁ、『1984年』【※9】ですか? あれはよかったですね……。 私はずっと、創作は生活に必要ないのではないかと思うことがあって……。娯楽だから、生きるために必須なものではない。でも、この『1984年』を読んで、「やはり創作というものは必要だな」と思いました。 実現してはいけないものを体験したり、よくないものに備えたり、他人を理解するための「備え」としての物語が、人間には必要なのではないか……と。「そんなのもっと若い頃にわかるだろ」と思われるかもしれないのですが、自分としてはいたく感動しましたね。 九井氏: とにかく、「作品を通して、知ることのなかったものを知れるといいよね」という気持ちはあります。 広井氏: ……なんか、全体的にちょっと楽しくゲームの話をしただけな気がします(笑)。 九井氏: ひたすら、インタビューにかこつけてゲームの話をしましたね(笑)。 ──いえいえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました!(了) 「嫌いなものに興味がある」という気持ち、ちょっとわかる気がする。 「好きなもの」を「なぜ好きなのか?」と分析するのは簡単だけど、「嫌いなもの」を「なぜ嫌いなのか?」と分析するのは、意外と難しい。そしてその理由を把握した時、「なぜ嫌いなのか」の方が、身になっていることが多い気がする。 もしかしたら、創作物は「嫌いなもの」を理解するためにも、存在しているのかもしれない。 そんなことを考えてしまう、濃い「創作のお話」をたっぷりとお聞きしました。あと九井先生がゲーム好きすぎる。広井さんも結構ゲーム好きだし。真剣な話とゲーム談義が交互に飛んでくるので、情緒が迷子になる内容だったかもしれません。でも、『ダンジョン飯』もこんな空気感だった気がする。 もし『ダンジョン飯』を読んでいない方がいたら、ぜひこの機会に読んでみてほしい。いつかの日の、楽しい冒険が描かれている。その上で、いつか来る「なにか」に備えられるかもしれない。もちろん、漫画としても最高に面白い。間違いなく、現代最高峰の「娯楽」のひとつだと思います。 どうして体は生きたがるのか? 心に何を求めてるのか? それは、好きなものと嫌いなものを追いかける「欲望」があるから。「嫌いなもの」は、実のところ「好きなもの」と同じくらい大切なもの。創作物や娯楽を通し、自分にとっての「好きと嫌い」を理解して、人間は「なにか」に備えられる。食べ物も、創作物も、人が成長するためには同じくらい大切なもの。 ……というと、いい感じにオチがつくような、そうでもないような。 食事をすること。創作物に触れること。 まさしくそれは生の特権。 生きるためには、食べ続けなくてはならない。 さあ、食事の時間だ。今日は何を食べようか!
電ファミニコゲーマー:TAITAI,ジスマロック,実存
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