海女発祥の地の漁師が能登半島を支援 同じルーツの仲間に「義援金」贈呈
RKB毎日放送
能登半島地震で被災した石川県輪島市海士町に700キロ離れた福岡県の漁師らが義援金を贈り、400年の時を超え同じルーツを持つ仲間を支援したいという気持ちが寄せられました。 【写真で見る】”海女発祥の地”宗像市鐘崎「海の道」で能登半島とつながる ■被災地を訪れ「悲しいね。涙が出ました。来る途中に」 18日午前、能登半島地震で被災した石川県輪島市を訪れたのは福岡県宗像市の漁協や市役所、宗像大社の関係者です。 宗像漁協・八尋時男組合長「思ったよりひどいですね。これだけの船が動けないのは大変なこと」宗像市の漁師たちは「ある理由」で輪島市海士町のために義援金を集めてきました。 輪島市海士町・橋本拓栄自治会長「こんな時だからこそ助けていただいて、忘れないでいてくれたということがうれしいです」 義援金募集の中心となったのが宗像市の鐘崎地区の漁師たちです。 ■”海女発祥の地”鐘崎 「海の道」で能登半島とつながる 今林隆史記者「海女発祥の地とされる宗像市の鐘崎地区。能登半島と深い縁がありました」 潜水漁を生業とする海女発祥の地とされる鐘崎。「海の道」で能登半島とつながっていたのです。 良い漁場を求め各地に出稼ぎに行っていた鐘崎の海女は、対馬海流に乗って700キロ離れた能登半島にも移動していました。 海の道むなかた館・岡崇さん「山陰の方で漁をしていた人が遭難をしてですね、漂流をいたしまして、流れ着いたのがたまたま石川県輪島だったと。そこでまたその方々が漁を始めてですね、海女が潜って。獲れたアワビをまたこの九州の方に持ってくる。ということでその後ですね、冬の2月に輪島に来られて、そしてまた秋に戻ってくるということを繰り返していたようです」 およそ400年前の江戸時代には、鐘崎から輪島市海士町に移り住んだという記録が残っています。 鐘崎と海士町は、生活習慣が似ていると言われているほか、湯気のことを「ほけ」と言うなど共通している方言が複数あります。 宗像漁協・八尋時男組合長「輪島の海士町は、うちの先祖が移り住んだということを聞いて、何らかの支援をしてみらんかって考えてみらんかというのがきっかけで、皆で話して少しでも応援できる部分はしていきたい」