その存在と音楽を百年先まで。映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」創作秘話
──本作の編集作業にはどんなお気持ちで取り組まれたのでしょうか? 小松 この作品は8か月以上かけて編集したのですが、その作業の最中にフジコさんは亡くなられました。でも、僕の中では、フジコさんは今もツアーでどこかに行っていて、いつ日本に帰ってくるのかなという気持ちでいます。それは、たとえ会えなくても思い出を胸に抱えているというフジコさんの死生観に通じるものがあるように思います。この映画の編集については、おそらく僕の人生で最も時間もかかりましたし、苦悩したと思います。編集の途中に亡くなられたことで、言葉の意味やシーンの意味が変わってしまったからなんです。単純に時系列だけで繋ぐとしても、意味合いがどんどん変わってきますし、ファンの方やお客さんに何を届けたら良いのかということを真剣に考えました。僕がフジコさんとの会話の中で常々話してきたのは、“フジコさんの存在と音楽を質の高い作品として100年後まで遺すことが僕の目的だ”ということ。僕自身がクラシック界とは違うジャンルの音楽に携わってきたので、単純にヒストリーを描くのではなく、フジコさんが僕に託したことやフジコさんの精神などを映画で伝えたいと考えました。だからこそ4年かけた成果として映画のエンディングをどうするのかということがとても大事でした。僕は号泣される映画ではなく、ポロリと涙したとしても、元気になって映画館を出て行ってほしいなという思いで作り上げました。おそらくそれは、フジコさんの願いでもある気がしています。 ──フジコ・ヘミングさんが演奏される楽曲では何がお好きですか? 小松 僕が最初にフジコさんが演奏される曲で好きになったのはリストの「ため息」です。この曲は本作ではパリを紹介するシーンで使っていますが、実は前作の『フジコ・ヘミングの時間』でも通じるものがあるので、同じ使い方をしています。フジコさんに『「ため息」がすごく好きなんですよ』と話したことがあるのですが、そのとき『男の人はああいうロマンチックなのが好きよね』っておっしゃっていたのを覚えています。 今はやっぱりドビュッシーの「月の光」も好きですね。聴いていて、心がスーッとするんです。フジコ・ヘミングといえば「ラ・カンパネラ」を思い浮かべる方も多くて、前作の時にもそれが強かったのですが、『それだけじゃないのよ。私の1番好きなのは「月の光」だったり、スローな「ノクターン」ね』とご本人もよくおっしゃるようになっていました。フジコさんは、一般的なピアニストがあまり弾かない曲であっても、その名曲をどれくらい自分流に歌うように弾くかということを考えていた方だと思います。それはロックにも通じるものがあると思っていて、「ラ・カンパネラ」が彼女の代名詞になっていますが、それだけではないことを伝えたかったです。 ──監督が知るフジコ・ヘミングさんを言葉にしていただけますでしょうか? 小松 フジコさんにとって、“生きることは演奏すること”だったと思います。生き様そのものがロックになっている人がいるのと同じように、弾き続けることを何よりも大切にしていました。彼女が南の島でぽかぽかしたいみたいな発言を聴いたことは一度もなかったです(笑)。とにかくお客さんへの思いに溢れていました。ちょっとでも手を抜くとお客さんはいなくなるし、スポーツ選手と一緒で少しでも休むと戻るのに時間がかかるからと言って、毎日約4時間の練習を欠かすことはありませんでした。表現者として、ファンの方には見えない努力を続けている方でした。 フジコさんにとってピアニストになることは子どもの頃に抱いた夢でしたが、実際にコンサートで演奏するようになってから集客に苦労された時代があったようです。無名だとチケットを買ってとお願いして嫌がられ、有名になった途端、チケットがないのかと問われる。そんな世間の変わり目に直面した経験があって、それを知ったからこそ、毎回ソールドアウトを続ける“ピアニスト”を最後まで続けていく予定だったのだと思います 。来年、再来年はこうしようという夢を先々まで持っていました。 また、動物との関係も素敵でした。小さい頃から猫とか犬が好きだったようで、それに関してもドライなところが面白いと思いました。彼女が飼っていたのは保護猫が多かったので、元々栄養不足や病気で寿命が短いこともあるのですが、実際に具合が悪くなっても『もうすぐ死ぬわね』と淡々としていて、僕の前では少しクールに振る舞っていました。それは彼女の死生観でもありますが、天国で再会できるという考えを持っているからだと思います。 死んだことを悲しんだり、嘆いたりしないのは、思い出を胸に抱えながら、ひとりぼっちではない気持ちで生きていたのかなと想像しています。