「なぜ原爆は広島に?」疑問を解くカギは陸軍の「船」にあった 陸軍船舶司令官の視点で見るアジア・太平洋戦争
■陸軍に「船の司令官」がいた! 今日はそのうち、『暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を紹介します。 第12回広島本大賞・第48回大佛次郎賞の受賞作で、堀川さんと担当した大学生・吉田礼嘉さんの意見交換です。その前に、まずはこの歌を聴いてください。 ♪空も港も夜ははれて月に数ます船のかげ端艀(はしけ)の通いにぎやかに寄せくる波も黄金なり 私が小学生の時に習ったこの文部省唱歌『港』は、広島市の宇品(うじな)港の様子を歌っています。宇品には、陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」がありました。”陸軍の船舶司令部”。何か違和感がありますね。 実は日本の場合、戦地へ兵隊や物資を運んだのは、海軍ではありませんでした。陸軍が海洋運搬業務全般、つまり補給と兵站を担ったのです。ただし陸軍なので輸送船はなく、民間から船と船員をセットで借り受ける形でした。これは世界的にも珍しい形態で、陸軍の船舶司令部は「船と船員を持たない海運会社のようなもの」だった、ということです。 ■「何とかなる」精神論で突き進んだ日本 このノンフィクション作品『暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』の内容を、この本を読みこんだ吉田さんの説明でお聴きください。 吉田礼嘉さん この本は、「なぜ人類初の原子爆弾は広島に投下されなくてはならなかったか」という疑問を突き詰めることから出発しています。アメリカが広島原爆投下候補地として選んだ理由。それは、広島に日本軍最大の輸送基地である軍港・宇品があったからでした。 吉田礼嘉さん 長年、船舶輸送の世界を牽引し「船舶の神」と呼ばれるも、開戦に反対したことで罷免された田尻昌次をはじめ、船舶参謀として開戦から終戦まで歩んだ篠原優、宇品最後の船舶司令官として太平洋戦争下を生き、原爆投下後に船舶部隊を直接指揮して広島の救援・救護にあたった佐伯文郎という陸軍船舶司令部の3人の軍人が残した未公開資料などをもとに、命がけで輸送し、最後には餓死していった船員たちの姿、「何とかなる」の精神で突き進んだ軍隊、太平洋戦争の破綻の構造、最終的に宇品ではなく広島の繁華街が原爆投下地点となった背景が、宇品の歴史とともに描き出されるノンフィクション作品となっています。 吉田礼嘉さん この本で一番印象的で、同時にこの本の焦点でもあると感じた部分が「何とかなる」という精神論で突き進んだ軍隊や政府の姿勢にあります。この「何とかなる」という姿勢は現在の私たちにも当てはめる部分があるのではないか、と読んでいて感じました。「自分たちは何とか平和に生きられるのではないか」「何とかなるだろう」という思いが私たちにはあるように感じています。 堀川惠子さん もうなんか、すごいですね…正直びっくりしています。とても深く読んでくださって、私が「ここを伝えたい」と思ったところをまさにドンピシャで伝えてくださっていて、本当に感動しています。
【関連記事】
- きっかけは”エアコンのつけ忘れ”「暑い。なんでつけてくれんかったと? 死ね」 発言した男子児童に担任が「一緒に死のうか」 廊下に連れ出し窓際で
- 15年以上に及ぶ路上生活と売春 ”睡眠不足になるほど客をとった” 姉への強盗殺人罪に問われた妹(52) 収入はほぼ知人の女に送金と証言 ふたりの不可解な関係
- 睡眠時のエアコン「つけっぱなし」と「切タイマー」どっちが快適?節電できる風量は「弱」?「自動」?
- 「妹は死刑でいい」法廷で証言した実の兄 姉に対する強盗殺人に問われたホームレスの妹 失踪後の家族の生活、裁判で明らかに
- 「財布がなくなった」女子高校生の相談にゲームセンターの店長がとった”とっさの判断”「靴をみました」