『テルマエ・ロマエ』と富岡製糸場に接点……「シルク王」片倉兼太郎の功績とは
『テルマエ・ロマエ』はヤマザキ・マリ作・画の累計発行部数800万部ともいわれるベストセラーコミック。2012年に阿部寛主演で製作された映画は興行収入60億円に迫り、今年の風呂の日(4月26日)に続編が封切られた。 その『テルマエ・ロマエ』の撮影にも使われた公衆浴場と、世界遺産登録が確実になった富岡製糸場との接点……のようなお話。 中央線上諏訪駅から徒歩5分。諏訪湖の東岸でひときわ目をひくノスタルジックな建物が片倉館だ。レンガ張りの外壁に高さ26mの尖塔、随所にあしらわれたレリーフやステンドグラス……ゴシックリバイバルともロマンティックリバイバルとも称される外観は、知らない人が見れば、そこが公衆浴場とは気づかないだろう。隣接する会館とともに、国の重要文化財に指定されている。 「千人風呂」と呼ばれる総大理石造りの浴室は数々の彫刻で飾られ、列柱や半円状のアーチもローマ気分を盛り上げる。そんなテルマエ・ロマエなスポット建造の中心的役割を果たしたのは、かの地で「シルク王」と呼ばれた二代目片倉兼太郎。片倉組(現在の片倉工業)創業者・初代兼太郎の弟である。当時、製糸工場が3~4棟建つといわれた巨費を投じ、1928(昭和3)年に竣工した。
片倉がその建造を思い立った契機は、1922(大正11)年の欧州旅行。農村地帯に民衆のための保養施設が充実してあることに感激した兼太郎は、帰国後、即温泉施設の建造に着手した。製糸工場に働く女子工員たちが疲れを癒やし、地域の人たちにも安らぎを提供できる保養施設の提供である。 ほかにも片倉は義務教育未修了の女工たちのために1917(大正6)年、片倉尋常小学校を開設、後に近隣の製糸業者の要請を受け共同の義務教育所に発展させている。「雇人を優遇し、一家族を以て視る」という家訓そのものに、労使協調・共存共栄の経営を行ったCSR(企業の社会的責任)の体現者である。 片倉工業の富岡製糸場合併は1939(昭和14)年。2代目兼太郎が没して5年後のことだ。 その精神は受け継がれ、富岡でも場内に女子青年学校を開校、戦後も義務教育修了と同時に職についた寄宿生のために良妻賢母教育を行う片倉富岡学園を開設している。