子供の頃から“朝起きたらひとりだった!?”母親はどこへ?まるで「放置子」のような家庭環境。それでも「毒親」だと思えない【著者に聞く】
子どもは親を選べない。“自分の親がよその親と違う”と気が付くのはいつごろだろうか?朝起きたら、母親はいない――。保育園がいっしょの子の家に行って、朝ごはんを食べる。そんな「放置子」のような子供時代を過ごしてきた漫画家・魚田コットン(@33kossan33)さんの「家族やめてもいいですか?」を紹介するとともに本書に込めた想いを聞く。 【漫画】本編を読む ■朝起きたら“ひとり”こんな家庭環境が当たり前。それも、成長とともに慣れていく 子どものころは、母親を尊敬していた。しかし、魚田さんの母親は、まだ保育園児だった子どもを置いていなくなることが多かった。朝起きたら母親がいない。魚田さんは、ひとりで母の帰宅を待った。そんなある日、また母親がいないことに気づき、同じ保育園の子の家に行こうと思いついた。友達の家に行き「家に誰もいない!」というと、朝ごはんを食べさせてくれ、保育園まで連れて行ってくれた。 父親はあまり家におらず、母親はコットンさんを連れて特定の男性と定期的に会うこともあった。時期がすぎるとまた別の男性へ。家族はひっそり暮らしていて、コットンさんの記憶では、周囲の大人は「冷たい人と優しい人」と二極化していたという。純粋で疑うことを知らなかったコットンさんは、「これがうちの当たり前」だと思っていた。本作は、著者の自伝漫画である。 ■「うちの親が毒親か?と言われると今でも毒親なのかな…?」と、微妙な気持ちになる ――本作を描くきっかけを教えてください。 もともとブログで描いていた「母の再婚相手が色々とアウトだった話」を担当さんが見つけてくださりお声がけ頂いたのがきっかけでした。同作は別の出版社さんで雑誌連載をしていたため書籍化が難しかったのですが、その後にブログで連載した「うちの家族ってもしかしてオカシイですか?」というタイトルの漫画にも興味を持っていただき、その話をメインに書籍化を目指すことになりました。 ――いわゆる毒親に育てられた環境ですが、コットンさんが毒親だと気づいたのはいつですか? うちの親が毒親か?と言われると今でも「毒親なのかな…?」と微妙な気持ちになるのですが、「毒だ」と思わずとも、「少し母と距離を取ろう」と思えるようになったのは、結婚して自分の家族ができて、しばらくしたくらいでした。 ――制作にあたって大変だったこと、気づけたことはありますか? 初めての書籍の制作で、初めてのコマで割った漫画制作だったので、全て「この描き方で正解かな?」と常に戸惑っていました。その点は大変だったなと思います。 ――実際に描くうえで、心がけた表現などはありますか? 「家族、辞めてもいいですか?」の出版が決まったとき、別雑誌で「母の再婚相手が色々とアウトだった話」(後の「母の再婚相手を殺したかった。性的虐待を受けた10年間の記録/竹書房刊)を連載していたので、そちらの漫画との差別化は心がけました。私の半生を描いたものになるのでどうしても被ってしまうところはあるのですが、それぞれのテーマは違うつもりで私は書いています。 ――ご自身の心と向き合う作業はとても大変だと思いましたが、制作前とあとで気持ちの変化はありましたか? 描くにあたって、自分の半生をさらに振り返ることになったので「私ってけっこう酷い生活してたんだな」と、気づくことができました。ブログで描いている段階でも、継父との話はまだしも、家庭環境はそこまで酷いとは思っていなかったので、改めて気づけたのはよかったかと思います。冷静に自分のことを俯瞰して見ることができたおかげか、人に対しても少し寛容になれた気がします。以前の自分は、もっと自分にも他人にも厳しかったので――。 コットンさんが小学生のときに両親は離婚。その後、母親は再婚。コットンさんは新しい父に性的虐待を受け男性不信となる。何度も家族を辞めたいと思ったコットンさんの渾身の一冊である。 取材協力:魚田コットン(@33kossan33)