「渡邊雄太は泣き言を一度も言わなかった」NBA記者が見守った壮絶な11年間…ファンや家族の想像を遥かに超えた「清々しい終止符」
4月12日朝、メンフィス・グリズリーズの今季最終戦の2日前に渡邊雄太はグリズリーズの本拠地、フェデックスフォーラムのコートにいた。 【画像】「何度見ても泣ける…」渡邊雄太24歳NBAデビューの瞬間、八村との日本人対決…ナビが残したNBAの軌跡を見る!“スラダン山王戦”みたいな渡邊雄太×富永啓生の決定的瞬間も(秘蔵写真70枚) 3月1日の試合を最後にメンタル面の問題から欠場が続いており、3月半ばからはホームゲームでもベンチに座ることもなくなっていたのだが、この日はチームの集合写真撮影のため、久しぶりにチームメイトたちと共にグリズリーズのユニフォームを着た。 すでに自分の中では今季限りでNBAを離れることを決めていたので、「NBA選手としてNBAのユニフォームを着るのはこれが最後になるんだな」と思いながら、ユニフォームに袖を通したという。 6年前、2018年10月27日に初めてNBA公式戦を戦ったコートで、そのときと同じグリズリーズのユニフォームを着て、NBAでの6年間、そしてアメリカでの11年間に終止符を打った。
「20代は逃げないって決めてたんで」
その5日後、渡邊はInstagramでライブ配信を行い、来季から日本に帰国する決断をしたことを発表した。 今年2月、優勝という目標から遠いグリズリーズにトレードになったときの落胆。それでも古巣の、旧知の仲間がいるチームで試合に出る機会を与えられた喜び。その次の試合前にコーチから「この試合には出ない」と告げられたときの落胆と日本帰国の決意。その後、試合に出ても身体が動かなくなってしまったことなど、自分のメンタルや身体への異変を赤裸々に語った。 その内容は、彼がNBAにいた6年間でどれだけ大変な思いをし、その中で自分自身にハッパをかけながら踏ん張ってきたかをうかがわせるものだった。 「多分僕の限界は、本当はもっともっと前にあったんだと思いますし、でもそれでもやっぱ自分の中で、絶対20代は逃げないって決めてたんで。最後まで自分の夢に向かって突っ走れたかなっていうのが自分の中であるんで、本当に1ミリの後悔もないですし、この間シーズン終わって、すごい清々しい気持ちです」と言い切った。 その言葉を聞いて、思い出したことがあった。 11年前に渡邊がアメリカ挑戦を選んだとき、渡邊の父、英幸さんは地元、香川のテレビ局のインタビューを通して息子にこう伝えた。 「アメリカでバスケットボールをやるのは生半可なものではない。でも、途中で逃げ出したくなっても帰る家はないということは、雄太が一番よくわかっているよな?」 後にそのことを話してくれたときに、英幸さんはこうつけ加えた。 「雄太が自分で決断した道なので、どんな苦難があっても泣き言は言わないと思います。バスケが大好きですから」 父から息子への大きな信頼があってこその、厳しい言葉だったのだ。 父が言ったように、それから11年間、アメリカで戦い続ける渡邊を取材してきたなかで、彼の口から泣き言を聞いたことは一度もなかった。苦しい心のうちを正直に話してくれたことはあったが、それは彼なりの、壁に立ち向かう決意表明のように聞こえた。
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