初選出の柿谷はザックJに生き残れるのか?
そうした中へ柿谷が風穴を開け、居場所を築き上げるためには何が必要なのか。指揮官は「代表に取り組む意識や代表にかける思いを、注意して見ていきたい」とした上でこんな条件を挙げた。 「ポイントは一人の選手が攻守の両方をできること。W杯ではタフな戦いが多くなる。守るだけの戦いをするつもりはないが、どちらかしかできない選手が代表に入ってくることはできない」 セレッソのワントップに定着し、攻撃陣をけん引しはじめた昨シーズンの後半から、柿谷が口癖のように語っている言葉がある。 「自分のゴールでチームが勝てればいいですし、自分のアシストでチームが勝つのもいいですし、もちろん自分の守備で勝つのもいい。90分間の中でどれをどの場面で出すのかは瞬時の判断になりますけどね。自分がゴールしなくてもチームが勝てばいい、という言葉はホンマに僕に合っていると思うんです」 16歳でセレッソとプロ契約したのが2006年。若さゆえ自分自身を見失い、練習に遅刻するなど練習態度に対する懲罰の意味を込めて、期限付き移籍でJ2の徳島へ武者修行に出されたこともあった。どん底から這い上がってきた男は、どうすることがチーム貢献につながり自らが生き残れるかを常に考え続けている。 「豊田君みたいにゴール前へ飛び込んでいって強引にゴールを奪うようなプレーは僕にはできないと思うので。ホンマのセンターフォワードのような力強さには欠けますけど、それでもセレッソの一番前を任されている限りは、常にゴールに絡まないといけないので」 弾き出された答えは、流れの中で常に前を向けるポジショニング。同じく招集された185cm、79kgのFW豊田陽平(サガン鳥栖)を「剛」とするならば、177cm、66kgとFWとしては決して恵まれていないサイズの柿谷は「柔」のストライカーとなることにこだわった。Jリーグにおいても、滑らかなトラップから一瞬で相手DFを置き去りにして、相手ゴール前の危険地帯へスルスルと侵入しては鮮やかに、軽やかにゴールを陥れてきた。守備での貢献度が大きいことも、柿谷がJ2の徳島時代に学び、変わった点だ。 柿谷をはじめとする国内組から10人を初招集したザッケローニ監督は、会見でこんな檄を飛ばした。 「自分たちが今できることをJリーグの舞台にとどまらず、インターナショナルのレベルで通用することを見せてくれるチャンス。チーム内の競争がより激しくなれば、より成長が促される。今回のメンバーから新しい刺激を受けたいと思っている」 新戦力の競争力がザックジャパンの底上げにつながるのか。そして、来年に向けて、国内組の中から誰が生き残るのか。初戦の中国戦から先発起用される可能性の高い柿谷は、まず、そこで存在感を示さねばならない。 (文責・藤江直人/論スポ)