冷戦終結後のアジアと日本(2) 「普遍的」な社会科学の政治性を考える:山田辰雄・慶大名誉教授
アジア研究と社会科学:政治による「普遍的」価値の利用
川島 中国近代政治史を研究してこられた山田先生から、現在の日本のアジア認識、中国認識などについて、メッセージをいただけますか。 山田 広い意味での社会科学におけるアジア研究の位置づけの問題があります。この問題意識を、私は以前から持っていました。それは、社会の歴史的発展と社会科学との関係という問題です。単純化して言いますと、ルネッサンス以来西洋の近代社会の発展があり、その発展の中で生まれた社会科学が、日本において、また世界において普遍的な理論体系として世界に広がってきました。 では、現代社会ではどうでしょうか。そこでは普遍的な価値を主張することによって逆に社会が分断されているという状態にあるのではないかと思うのです。つまり一方では人権だとか民主主義、他方では権威主義というような、本来学問的な意味での概念が現代社会では政治的に利用されて、世界が分断されているのではないかと私は考えています。 どういうことかと言いますと、近代においては西欧社会が非常に発展して強くなりました。そこで生まれた社会科学は、本来西欧的なものであるべきなのに、人権や民主主義とか、そういう形で普遍化されてしまってはいないか。そういう形で社会科学はアジアへも入ってきたわけです。しかし、20世紀後半にはアジア自体が政治的にも経済的にも発展してくるわけです。そうすると、その発展をどのように社会科学研究の中に相対化して取り入れるのかという問題が起こってきます。だから、このアジアの発展が、単なるアジアだけではなくて、社会科学の普遍的な原理の中にどのように組み込まれるのかということが、新しい社会科学の発展に結びついてくると思うのです。 アジア研究というのは、実は従来の社会科学をより高度化していくためのひとつの基礎的な研究であると私は考えています。その意味でアジア研究は、単なる西洋で生まれた社会科学理論のアジアへの適用ではなく、むしろ、アジアの現実の発展と従来の社会科学の理論との相互作用を通して、新しい社会科学の発展を目指さなくてはなりません。その意味で、アジア研究は社会科学の下にあるのではなくて、むしろ社会科学を発展させていくための資源であると思います。 現在の問題は、そのような普遍的とされる考え方が政治的に利用されて世界が分断されているということです。私は別に独裁体制がいいとは言っていません。そういう社会科学で生まれた普遍的な理論、普遍的な概念が政治的に利用されてしまっているということが、私の見方なのです。