激戦地パラオ・ペリリュー島に伝わる日本語の歌 「風化させない」と鹿児島の親子が録音、現地の慰霊碑に捧げる
鹿児島市平川町の会社員黒木猛さん(53)が、太平洋戦争の激戦地であるパラオ・ペリリュー島に伝わる日本語の歌を発掘し、再録音して音源を制作した。歌唱を担当したのは、歌が趣味の母親イツ子さん(76)。猛さんは音源を持って島の戦没者慰霊碑群を訪問。録音した歌声とピアノ伴奏を流して追悼した。 【写真】戦没者慰霊碑群の前で、歌をささげる花岡久子さんと佐野正幸さん=パラオのペリリュー島(黒木猛さん提供)
猛さんは同市の共進組で外国船の入港手続きを代行する仕事に就いている。2021年、船の仕事をきっかけにパラオとの縁が生まれた。交流が広がり、「緑の島のお墓」という現地の人が作った歌があることを知った。 パラオは戦時中、日本の委任統治領だった。日米両軍の激戦が繰り広げられたペリリュー島(緑の島)には、今も日本兵の遺骨が残されている。歌詞は墓を守る島民の思いを表現した内容で「日本とペリリューは親善の友」と歌う。猛さんは現地でCDを探したが見つからず、「戦争の歴史を風化させてはいけない」と新たに音源を作って残すことにした。 フローラルミュージック(同市桜ケ丘3丁目)に依頼し、今年9月にレコーディングした。作・編曲とピアノ伴奏は柴藤ひろ子代表(56)が担当。猛さんにはパラオから独立30周年式典の招待状が届き、10月1日に同国で参列した。 2日には日本側の一行約20人とペリリュー島に渡り、慰霊碑の前で音源を流した。イツ子さんの伸びやかな歌声が流れ、伴奏に合わせ、祖父がパラオで戦死したという歌手の花岡久子さんと、劇団四季の佐野正幸さんも夫婦で歌った。
イツ子さんは「自分の声が海を渡ったことが信じられない。すばらしい伴奏だった」と感慨深げ。猛さんは「今後も交流を進めたい」。音源の動画はフローラルミュージックのホームページで公開している。
南日本新聞 | 鹿児島
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