元横綱・北の富士さん死去 82歳 解説者としても活躍
大相撲で千代の富士と北勝海の2横綱を育て、解説者としても活躍した第52代横綱・北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき、本名・竹沢勝昭=たけざわ・かつあき)さんが亡くなったことが20日、関係者への取材で明らかになった。82歳だった。 【写真特集】北の富士さん軌跡 気迫あふれる現役時代の取組 北海道旭川市出身。出羽海部屋に入門し、1957年1月の初場所に14歳で初土俵。63年11月の九州場所では十両で全勝優勝し、新入幕を果たした翌64年1月の初場所では13勝して新入幕の最多勝記録を作った。 66年7月の名古屋場所後に大関に昇進。兄弟子で自身をスカウトした当時の九重親方(元横綱・千代の山)の独立に同行し、九重部屋に移籍した直後の67年3月の春場所で初の幕内優勝を飾った。 2場所連続優勝を果たした70年1月の初場所後、同時に横綱へ昇進した玉の海(71年10月、現役のまま急死)とともに「北玉時代」と呼ばれた。優勝は計10回。74年7月の名古屋場所中に引退した。 引退後は井筒部屋を興し、77年10月の先代の死去を受けて九重部屋を継承。先代から引き継いだ弟子で31回の優勝を遂げた千代の富士(2016年7月死去)と、自身が勧誘した北勝海(現八角親方、日本相撲協会理事長)の2横綱らを育てた。92年に千代の富士に部屋を譲り、86年からは日本相撲協会の理事を12年間務めた。 98年1月の協会の役員改選で立候補を急きょ辞退し、退職。その後はNHKの大相撲解説者を務め、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いがファンから愛された。