<ワン・ゲーム>いざセンバツ交流試合/上 鳥取城北と平田 「何のためにここまで」 /鳥取
厳しい練習を積み重ね、昨秋の県大会と中国大会で躍進。そして今年1月末、山陰から鳥取城北(鳥取市)と平田(島根県出雲市)の第92回選抜高校野球大会への出場が決まった。あこがれの甲子園切符の連絡に、両校野球部員は喜びを爆発させた。だが新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、いったん無観客試合を模索したセンバツは3月11日に中止が決まった。両校の特別な春と夏を報告する。【野原寛史、小坂春乃】 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら グラウンドに向かう鳥取城北の選手たちの足取りが重い。「まだ夏がある。切り替えよう」。吉田貫汰主将(3年)は必死に明るく振る舞った。だがセンバツ中止のショックから立ち直りかけた3月下旬、全国的なコロナの猛威の前に休校に入ってしまう。 部員の多くは甲子園を目指して親元を離れ、県外から城北の門をたたいた筋金入りの球児たちだけに意識は高い。全体練習ができなくなると個々の課題と向き合った。不動の3番打者、河西威飛(いぶき)外野手(3年)は、長打力を伸ばそうと、マシン打撃で1日最大500球もの打ち込み。目標は「2死走者なしからでも本塁打や長打で点を取ること」。金属バットに比べて芯が狭い木製バットも握った。 「ワンバウンドの投球をそらしてしまうことがあった」との反省から、安保(あぼ)龍人捕手(3年)は股関節の柔軟性を高めようとストレッチなど基礎トレーニングを徹底して繰り返した。 全体練習は、対外試合禁止など制限付きで5月上旬に再開。コロナ収束が見通せない中、選手たちは夏の甲子園の開催可否に気をもんでいた。「開催をひたすら願い続けた」という吉田主将の思いもむなしく、5月20日に夏の甲子園中止の決定。「ここで終わりたくなかった」。記者会見で涙が止まらない吉田主将を、山木博之監督(45)は正視できなかった。 その夜の学生寮。最後の夏に懸けてきた3年生たちは「何のためにここまで来たんだ」と苦しい胸の内をぶつけ合った。試合もせずに甲子園への扉が閉ざされた衝撃。「高校野球が終わった」と親にラインで嘆く姿も。大半の選手が涙にくれた。 ◇ 春夏通じて初の甲子園となるセンバツ出場を決め、地域一体で盛り上がった平田。夏の甲子園まで中止になってしまい、3年生と個別に面談した植田悟監督(48)は「選手の多くが大粒の涙を流していた」。休校中も自宅近くの公園などに少人数で集まり、黙々と練習を続けていた平田ナイン。だが、その心は折れる寸前だった。