「今は騎手変更、騎手変更ばかりでしょ」ナリタブライアンの主戦・南井克巳が感謝する“タマモクロスの縁”「GI勝利だけで人間の価値は…」
今はもう騎手変更、騎手変更ばっかりでしょ
当時のことを南井さんに2023年秋に尋ねてみた。 「タマモクロスは勝ち切れない時があったけど、それでも先生(調教師の小原伊佐美)がずっと乗せてくれて。3歳の秋に京都で(藤森特別を)勝ったことで菊花賞にも出られたんですが、そういう時も菊花賞を使わないで鳴尾記念(GII、阪神、芝2500メートル)に出て……」 重賞初出走で、2着に6馬身差をつけて圧勝した。 「その時点で小原先生が僕に乗せてくれたのが、やっぱり僕にチャンスを与えてくれたんだよね。天皇賞まで乗せてくれたのは。小原先生のおかげだし、オーナー(タマモ)のおかげ。ずっとタマモさんの馬に乗せてもらえたし、(僕が)調教師になってからは馬を預けてくれて重賞も勝つことができた」 その年に34歳にして初めて関西リーディングジョッキーとなった南井は翌1988年、タマモクロスとのコンビで初のGIタイトルを獲得する。金杯(京都)と阪神大賞典を勝ち、重賞3連勝で臨んだ天皇賞(春)を制覇。続く宝塚記念も快勝してGI連勝を決めた。 そこに「大レースを勝てない」と言われた、かつての南井克巳の姿はなかった。 タマモクロスに出会えたのも、ふたりの師匠から学んだことを積み重ねてきたからこそ。その思いが南井にはある。それを「人と人との絆」という言葉に置き換えてもいい。 「今はもう騎手変更、騎手変更ばっかりでしょ。ある程度、馬が走ったら外国人ジョッキーに乗せたりね。大手のオーナーや牧場はそういうふうに決めているでしょ。昔は乗れなかった僕だって、そういうチャンスを与えていただいて大レースを勝つことができた」 ◇ ◇ ◇ ナリタブライアンの記憶を今も強く刻み付けているのは、主戦だった南井だけではない。ライバルとなったマヤノトップガンの主戦騎手だった「消えた天才ジョッキー」田原成貴にも会いに行くことになった。著者が久々の再会を果たした田原は、武豊が跨ったナリタブライアンとの伝説的レースとなった96年の阪神大賞典について、熱く語り出した。 <つづく>
(「競馬PRESS」鈴木学 = 文)
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