「今は騎手変更、騎手変更ばかりでしょ」ナリタブライアンの主戦・南井克巳が感謝する“タマモクロスの縁”「GI勝利だけで人間の価値は…」
GIを勝ったとかで人間の価値は決められない
順風満帆のスタートを切り、翌年は34勝をマーク。3年目には46勝で関西リーディング3位となった。だが、そこから壁にぶち当たった。大レースに勝てない。それがデビューから1987年まで16年間も続いた。 「あの時は若かったから、気持ちの問題だったんでしょう」 GIの常連となってから、新聞記者に当時のことを聞かれれば、そう答えていた。さらにこう付け加えていた。 「GIで本命になる馬に乗っていなかっただけの話ですよ。チャンスのある馬に何回か乗れば、誰でも勝てるのがGIです。GIを勝ったとかで人間の価値は決められない」 30年後、改めて聞くと南井さんは頷いた。 「僕もいろいろと新聞社の方に言われてきましたよ。『(GIを)勝てないね。勝てないね』って。やっぱりチャンスのある馬に乗らなかったら勝てないし、別にGIを勝ったからといって人間としての価値とは関係ないと思う。みんな同じようなこと(努力)をやってきているんだから、GIを勝てたか勝てないだけで人間の価値を決めたら違うんじゃないのって言ってきた」
力を抜いて馬に乗れ。ズブい人間になれ
そうした考えの根底にあるのは、ふたりの師匠の教えだった。 工藤嘉見と宇田明彦。このふたりの調教師のおかげで南井は人間として成長でき、GIを勝てる馬に巡り合えた。 第一の師匠・工藤嘉見には礼儀の大切さを学んだ。言葉遣い、頭の下げ方、他人に対する感謝の気持ちなどを厳しく教えられた。競馬は自分ひとりの力ではどうにもならないもの。周囲が機会を与えてくれて成り立つという師匠の考えによる。 「人に助けてもらわなければ、いい仕事ができない。だから礼儀が大切と厳しく教えられた」 第二の師匠・宇田明彦には自身の弱点を悟らされた。真面目すぎるところから脱却することが大事だと学んだ。 「もっとリラックスしろ。もっと力を抜いて馬に乗れ。ズブい人間になれと言われ続けた」
タマモクロスとの出会いが南井を変えた
ふたりの師匠の教えが体に染み込み、自分のものになり、過去の自分と決別した頃に出会ったのがタマモクロスだった。ふたりの師匠によって生まれ変わった自分がチャンスを呼び込んだと言っていいかもしれない。 1987年3月、南井は明け3歳(当時の表記は4歳)となったタマモクロスの手綱を取って新馬戦に臨んだ。舞台は芝2000メートル。2番人気の支持を受け、逃げたが直線で失速して7着に敗れた。その後、舞台をダートに替えて3戦目に初勝利を挙げた。 ところが、芝に戻した4戦目に、前の落馬のあおりを受けて競走中止の憂き目に遭ってしまう。その影響があったのか、4戦続けて敗退。陣営は障害への転向も考えたというが、再び芝へ転向した途端、タマモクロスの快進撃が始まった。 京都・芝2000メートルの400万下(現1勝クラス)に5番人気で出走すると、南井が手綱を動かすことなく2着に7馬身もの差をつけて楽勝したのだ。 続く藤森特別(400万下、芝2000メートル)で南井は騎乗できなかったが、またもや8馬身差の圧勝。手綱を取った松永幹夫は「このクラスにいる馬じゃない」と評したという。
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