【密着】ニューヨーク 出産前後の女性をサポートする「ドゥーラ」として妊婦に寄り添う娘へ届ける両親の想い
アメリカ・ニューヨーク。ここで「ドゥーラ」として奮闘する伊東清恵さん(46)へ、東京都の伊豆大島で暮らす父・義宏さん(77)、母・正子さん(76)が届けたおもいとは―。
移民者が多いニューヨークで出産前後の女性を手厚くサポート
ドゥーラとは、出産前後の女性や家族に寄り添いサポートする人のこと。「出産前の相談」「出産の立会い」「産後の手伝い」の3つがドゥーラの基本パックで、いつでも妊婦の元に駆けつける必要があるため、清恵さんはマンハッタンを中心に30分以内で行けるエリアで仕事を請け負っている。 ある日は産後ドゥーラのため、イーストリバーを渡ってすぐのルーズベルトアイランドにあるマンションを訪問。産後で疲弊している女性の自宅で、洗濯や掃除など家事を代行する。またある日は自宅出産に立ち会い、助産師の横で妊婦を励まし続ける。赤ちゃんの夜泣きで眠れないと、夜中に呼ばれることもしばしばだそう。 アメリカには助産師自体がほとんどおらず、妊婦は産後2日で退院させられる。そのため、頼れる人がいないとまさに手探りで子育てをしなければならない。移民者が多いニューヨークではドゥーラの需要が年々高まっていて、清恵さんもこの10年で133人の妊婦をサポートしてきた。中でも親がすぐに来ることができない日本人からの依頼が7割を占めているという。
東ティモールからニューヨークへ。そこで見つけた「ドゥーラ」という仕事
清恵さんの父・義宏さんは大学時代、インドの山奥で羊飼いの研究をしていた。そこで登山部だった母・正子さんと知り合い結婚。そんな両親の元で海外暮らしが多い幼少期を過ごした。当時から「困っている人たちの役に立ちたい」と看護師を目指した清恵さんは、21歳で単身エチオピアへ。念願だった途上国での看護スタッフを始めた。現地では目の前の赤ちゃんの命を救えず、辛い思いをしたことも。そしてもっと現場を知って力をつけたいと、独立したばかりの東ティモールへ渡り、母子保健を広めるべく7年間活動を続けた。 夫で国連職員の孝一さん(49)とは東ティモールで出会い、2011年に結婚。翌年、転勤で国連本部があるニューヨークに移住したが、仕事を続けたかった清恵さんは当初、アフリカとニューヨークを行き来する生活をおくっていた。しかし、夫とも一緒にいたいし子作りもしたい…ホームであるニューヨークで何かできないかと悩んでいた。そんなときに知ったのが、ドゥーラという仕事。「これがずっと人生でやりたかったこと。ただいるだけで喜んでもらって、自分もいかされていると感じる。私がここにいる意味がある」とすぐに資格を取得したのだった。