「恵みの海は、後継ぎの息子と母を奪った」宮城の刺し網漁師 原発事故、処理水でも「この海で」 #知り続ける
復興へ歩み始める
磯地区は大半が災害危険区域に指定され、震災前の約150世帯から約20世帯まで減った。 それでも猪又さんは2013年、土地をかさ上げして自宅を再建。その翌年には新しい船も完成した。以前より一回り小さなその船が妙見丸の名前を受け継いだ。 地区の漁師も半分以下に激減したが、震災後に漁師になった30代の若手もいる。漁協の運営委員長として彼らを引っ張る立場に就いた。 操業を妨げていたのは、海底に散乱したがれきだ。対策を考え、北海道まで視察に出かけたこともある。高圧で海水を海底に吹き付けて砂の中から貝を巻き上げる新漁具の導入を決めた。町の特産品であるホッキガイの水揚げ量も徐々に回復してきた。
処理水放出、突然の拒絶
しかし、震災から10年が過ぎた2021年4月、政府が福島第1原発の処理水の海洋放出を決めたというニュースが飛び込んできた。国は風評被害対策を進めると強調するが、その範囲に隣県の宮城が含まれているのかは分からなかった。 「原発事故は人災だった。その上に30、40年も放出を続けるのは納得できない」 猪又さんは憤る。「風評被害」は、身近なところにもあった。 ある日、魚をお裾分けしてきた山元町内の親戚から突然、こう告げられた。 「放出が始まったら、地元の魚は食べない」 返す言葉がなかった。福島県境は目と鼻の先。いくら科学的に安全性を説明されても、不安を抱くのは仕方ないと思った。 大きなうねりの前に諦めも漏れる。「国が決めた以上、反対ばかりしていてもしょうがない」。処理水の放出が始まった昨年8月24日は早朝から漁に出た。 1キロ当たり3千円だったワタリガニの価格は、中国の禁輸措置の影響か一時、2千円まで下落した。東京電力への賠償請求も考えている。国には若者が漁業の未来に希望を持てるような支援を考えてほしいと願う。
新たな希望
最近は海水温上昇の影響か、水揚げ量も落ち込み気味だ。正直、この先も続けていけるのか、不安は尽きない。ただ、新たな希望もある。区長も務める地区には昨年末、20代の夫婦と子どもの家族が移り住んだ。 浜の暮らしを気に入ってくれた若者たちに、自慢の魚を食べてもらうのが楽しみだ。お裾分けを断られた親戚も、今は受け取ってくれる。 「やっぱり、地元の魚の味には勝てねぇんでねえかな」 賢介さんとツメ子さんは今、地区の高台の墓地に眠る。悲しみが消えたわけではない。それでも、今年も3月11日は墓前で手を合わせ「こっちは元気でやってるぞ」と伝えた。地区のこと、漁のこと、まだまだやらなければいけない仕事がある。 「あと5年、いやもう少しか。体が動く限りは船に乗り続けるさ」 妙見丸と共に、この海で粘り続ける。 ※この記事は、共同通信と Yahoo!ニュースによる共同連携企画です。