「特攻の母」鳥濱トメさんの夫を演じながら見えるもの 当時の若い隊員たちの「思い」…今の私たちと大差ないのではないか
【大鶴義丹 やっぱりOUTだぜ!!】 この6月は29日から東京・俳優座劇場で上演される舞台「帰って来た蛍~永遠の言の葉~」の稽古に勤しんでいる。 太平洋戦争末期、特攻隊の出撃基地である鹿児島の知覧飛行場の近くにある、富屋食堂の女将・鳥濱トメさんの生きざまを描いた、史実に即した悲話である。私の演じる役は、その夫である義勇さん。 鳥濱トメさんは、食堂に集まる特攻隊員たちに実の母のように慕われ、お母さん替わりとなって話を聞き、飛び立つ若者たちに私財を投じておいしい食事を食べさせるなど、「特攻の母」と呼ばれ、過去にも映画や舞台、ドラマや小説などに取り上げられている。 また特攻隊員たちの大好物として知られる、「トメさん特製の玉子丼」は、靖国神社の食堂でも人気メニューとなっている。 舞台で描かれている物語は、その当時の現実を掘り下げたものであり、当然、すべてが美化されたものではない。戦火が生み出した深い闇もある。 戦局が悪化していった先に、上層部が「特攻」という概念を生み出した。戦後教育のなかで、特攻隊は軍国主義の悪しき犠牲として扱われることもある。 だが、戦争というのはそんな簡単なことでもないはずだ。 「特攻隊の発案」に関する軍部に関するいくつかの文献を読んでみた。これに関しては今も議論が残る歴史解釈なのだが、令和を生きる私たちが簡単に安っぽく判断できることではないだろう。 古今東西、人間は意味の有無に関わらず、そうやって戦い続けている。現実味が帯びてくる台湾侵攻も含めて、私たちはそういう「生物」なのだろう。 そんな歴史の「光景」に思いをはせながら「芝居」に取り組んでいるが、そんな時間の中で感じるのは、当時の若い隊員たちの「思い」は、今の私たちとは大差ないのではないかということだ。 「俺は19歳。残っている人生の時間をおばちゃんにあげるから、長生きしてくれよ」 舞台中、隊員の1人が鳥濱トメさんにいうせりふだ。そこに込められている、若き隊員の思いがいつも心に残る。