結局「チー牛」って誰なのか…馬鹿にされ、自業自得と言われ「現代の差別のど真ん中にいる人たち」男の25%を占める「弱者男性」の悲惨さ
それでも自分を責める弱者男性
ところが、そういった状況を多くの男性は「自分のせいだ」と責める。なぜなら、世間へ「自分をチー牛などとバカにするのは差別だ」と訴えようものなら、さらに笑いものにされたり、罵倒されるからである。 たとえば、女性がSNSなどでレイプ被害について発言しても「お前が気をゆるめていたんだろう」「お前の防御が足りなかったからだ」「本当は売名目的だったんだろう」「何らかのメリットがあって寝たんだろう」などと平気で言われることがある。そういった声は、現在は減りつつあるものの、完全になくなってはいない。 それと同じく、弱者男性が「自分が弱者になってしまったのは、日本社会のせいだ」「非正規雇用が悪い」と、社会や周囲に理由を問うコメントをすると、たとえそれが事実であっても「お前のせいではないか」とバッシングを受けやすい。 何が原因であっても、「同時代に成功していた人もいる。だから弱者になったのはお前のせいだ」と言われてしまうのが、まさに弱者が弱者たるゆえんである。
現代の差別のど真ん中にいる人たち
誰が弱者で、どのような理由で弱者になって、どういう支援を受けるべきかについては、弱者が語ったところで聞いてはもらえない。なぜなら発言の場においてすら、弱者だからである。 弱者男性の当事者に話を聞くと「自分たちは不可視化されている」「存在すら認めてもらえない」といった言葉がよく出る。 つまり、権力を持っている側が「あなたは弱者である」と認定していない段階にある、現代の差別のど真ん中にいる人たちである。いかに苦境を語っても、認めてもらえなければ意味がない。生きづらさを言うだけ無駄であり、「もういいです」「悪いのは自分です」と世間に合わせて認識を改めたほうが、世間の声と闘うより苦痛が少なくなる。そういった場に、弱者男性は置かれている。 書籍『弱者男性1500万人時代』では、こういった「男らしさから降りることも許されず、さりとて男らしさを手に入れる権利を奪われてしまった弱者男性」を多数取材した。また、膨大なデータに基づき、日本における男性の生きづらさを可視化している。
トイアンナ