和歌山東・中川 父は「みちのく旋風」巻き起こした左腕 センバツ
第94回選抜高校野球大会に出場する和歌山東の外野手・中川大士(3年)の父・申也さん(48)はかつて甲子園球児だった。秋田経法大付(現・明桜)の左腕投手として4強入りに貢献した1年夏など、計3度甲子園に出場。その後、プロ野球・阪神に在籍した元プロ野球選手でもある。親子での甲子園出場達成に「(親子で)目指していたが、本当に実現するとは」と喜びを隠せない。 【過去には小芝風花さんも】センバツ応援イメージキャラクター 脚光を浴びたのは1年だった1989年夏。「秋田大会からのご褒美としか考えていなかった。緊張もなく無心で投げられたのが良かった」。初戦となった2回戦の出雲商(島根)戦で五回まで完全に抑え、2安打完封した。 その後も快進撃は続き、3回戦の星稜(石川)戦では申也さんの打席でチームメートがホームスチールに成功するなど3―1で勝利。優勝した帝京(東京)に準決勝で敗れたものの、全4試合に先発し、2完封した活躍は「小さな大エース」として、決勝進出した仙台育英(宮城)とともに「みちのく旋風」を起こした。 甲子園の舞台は「最高のグラウンドでプレーできて、高校野球は楽しかった」と充実していた。一方で、「どこに行くにも声をかけられて外を出歩けなかった。(ヒーロー扱いされ)高校生なのに思いきり勘違いをさせられた」と注目を集めすぎたための弊害もあった。 ドラフト5位で92年にプロ野球・阪神に入団したが、肘を痛めた影響もあり、1軍登板はないまま95年に現役引退。その後は和歌山で自営業を営み、現在は年に数回野球教室で指導している。 父の高校時代の映像をたまに見ることがあるという大士は「幼くて、体が細いところは僕に似ているが、1年生からあの舞台で堂々と投げているのはすごい」と感心する。申也さんは中学時代、息子に対して、練習しろということは決してなかった。「やらされる練習だと身にならない。自分でやるのが一番」と感じているからだ。 初戦の倉敷工(岡山)戦で大士は、中学時代の硬式野球大会「タイガースカップ」に続いて甲子園のグラウンドに立つ。申也さんは「中学時代に甲子園で派手なエラーをしたので緊張はもう大丈夫でしょう。野性的な勘があるので守備で活躍してほしい」と期待する。【藤田健志】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。