【西田敏行さん死去】郷土愛の深さ思う(10月18日)
硬軟自在の演技で名を成し、人情にもあふれる俳優西田敏行さんの訃報に接し、心から哀悼と感謝の言葉をささげたい。 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生した直後、いち早く被災地に駆け付けた。大切な家族を亡くし、家を失い、古里を奪われた悲しみ、不安に暮れる被災者を力強く励ました。 多忙な仕事の傍ら、古里郡山市に帰郷した際は、かつての同級生らとしばしば酒席を共にした。厳しい俳優の世界にあって、先輩への敬意を忘れず、悩める後輩は優しく包む。ちゃめっ気をまとい、気さくで、誰とでも変わらず接していたからこそ、多くの人々に愛され、第一線で長く活躍できたのだろう。温かな人柄がしのばれる。 県民栄誉賞の受賞に合わせた本紙のインタビュー企画で、郷里の思い出と、ふくしま愛を熱く語った姿が忘れられない。 子どもの頃の暮らしは豊かではなく、適度に物がなく、適度に優しい人がいたと幼少期を振り返った。「物が満ちあふれているのではなく、人の情も、物の量も適量ある。肩肘張らずに過ごせる心地よさが古里にはあった」と続け、派手さはなくても、都会にはない「福島ならでは」の地域づくりを繰り返し説いた。
人口減少と首都圏への若者の流出に歯止めがかからない。近い将来、消滅の危機のある自治体名も取り沙汰されている。存続に向けた対策は欠かせない中、「福島ならでは」の言葉は、今なお示唆に富む。まちづくりに試行錯誤し、知恵を絞る自治体や住民、関係者の背も押してくれるに違いない。 若者が夢の実現を求め、こぞって東京へ流れる傾向にも一石を投じた。「俳優を目指すなら、中央に行かなければデビューできないと決め付けないで」との助言は、自らの半生に重ねた言葉に聞こえた。「地元に残り、福島でしかできない演劇を追い求めるのもいい」と言葉に力を込め、「自分の底辺は福島にある」と結んだ姿が誇らしく見えた。 下積みの辛苦を越え、日本を代表する立場になっても、郷土への思いは絶やさない。古里は成長や飛躍への糧にもなる。そんな、ふくしまとのつながりが、若い世代に深まるよう願う。(五十嵐稔)