オファーあれば壁ドン演出も 『東京ウィンドオーケストラ』坂下雄一郎監督
暗黒の青春時代、大学で見つけた映画監督への夢
30歳で初の商業映画を世に送り出すことに成功した坂下監督。現在は20代で成功している映画監督もいるため、決して早いデビューと成功ではないと謙遜する。坂下監督はどのようなきっかけで映画の道へ進むことになったのだろうか? 「青春時代は“暗黒”でしたね。いじめられていたわけではなかったのですが、常にまわりとは合わないな、と思う時代がありました。中学時代はほとんど一人で行動していて、高校に行ってもこんなノリが続くのはつらいなと思い、通信制の高校を選択しました」 月1回か2回しか登校しなくてよかったので、昼間はずっとコンビニでアルバイトをしていたという。 「4、5万くらいしか稼いでいませんでしたが、高校生にしてみれば大金。これでDVDを買いまくってひらすら映画を観まくりました」 ただの映画が好きだったという少年が、映画監督になるまでの道のりは、それほど険しいものではなかった。高校からの推薦で、大阪芸術大学への進学が決まり、そこから人生の歯車が回り出したという。 「不思議なくらい映画好きが集まっていて、大学は楽しかったです。授業では撮影、録音、映像の勉強を一通りやらされるんですよ。勉強をしているうちに、せっかくだったら映画監督になってみたいと思い立って、ほんとそこからですね。そうならざるを得ないというか」
オファーがあれば“壁ドン”演出、やれるかも?
とはいえ、まだ映画監督としてだけでは生活はできないという。 「制作会社でテレビ番組を作るのを手伝うアルバイト的なこともしています。ほかの仕事もしながら、次の映画の企画を練ったり、リサーチや取材をしたりしています」 今はオファーが来る仕事は断らずに何でも挑戦してみたい。ただ一つ冷静に考えてみるとどうなんだろうと思うテーマがあるという。 「少女漫画原作の映画、できるのかな、って思えてきました。真面目に“壁ドン”の演出できるのかな?と。照れてしまってできない気がする……。自分で選択肢を狭めるのはよくないですし。話が来たら、きっとやります、案外ハマるかもしれませんね」 一見、感情を表に出さないシャイな印象の坂下監督の思いもよらない悩みには、ただただ笑うしか対応ができなかった。 今はやれることを精一杯やっているというが、大がかりなハリウッド大作などにも憧れる。大好きだった『踊る大捜査線』や『マルサの女』などのリメイクなども、できることなら作ってみたいとの野望も語っていた。 ■坂下雄一郎(さかした・ゆういちろう) 1986年6月10日生まれ。広島県出身。大阪芸術大学卒業後、東京芸術大学大学院映像研究科に入学。『ビートルズ』(2011、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2012北海道知事賞受賞)。『神奈川芸術大学映像学科研究室』(13、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013長編部門で審査員特別賞を受賞)。 『東京ウィンドオーケストラ』1月21日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開