楳図かずおさんが生前、横尾忠則に遺していたメッセージとは? 「楳図さんのような絵をかける人は世界にも他にいない」
美術評論家の椹木野衣(さわらぎのい)さんの元に、少し前に亡くなった漫画家の楳図(うめず)かずおさんのマネジャーから、僕に伝えてほしいとメッセージがきたそうです。楳図さんが、この僕のエッセイ「ドンマイ」を読むために、マネジャーに近くの店まで「週刊新潮」を買いにいってもらって、亡くなる最後の週まで読むのを愉しみにしておられたというメッセージでした。
楳図さんと僕は同い年です。88歳です。まさか楳図さんがこの「ドンマイ」を読むために「週刊新潮」を買ってくれていたとは。誰か知り合いが読んでいるということを耳にすると急に恥ずかしくなって、できれば誰も読んでくれていないことを祈っていたのに、楳図さんが読んでいたとは! もしそんなことがわかれば、意識してしまい、手がビビッて書けなかったかも知れません。 僕は昔から楳図さんの漫画のファンで、楳図さん以外ほとんど誰の漫画のファンでもありませんでした。特に楳図さんの怪奇漫画が好きで、絵のファンでもありました。そんな楳図さんは近年、漫画ではなく101点にのぼる絵画作品を描いていたのです。体調がもうひとつで展覧会は見に行けなかったけれどカタログを取り寄せて毎日眺めていました。こんな絵が描ける人は世界にも他にいないと思うような、漫画でもないイラストでもない、絵に違いないのだが、いわゆる絵画でもない。誰にも描けない楳図画というものです。 そんな絵を死ぬかもわからない年に、こっそり101点も描いていて遺作にしてしまったのです。普段やってないことが結果として遺作になってしまったことは、あのマルセル・デュシャンが人知れずこっそり何年もかけて制作していた、その名も「遺作」という作品にその行為において匹敵するのではないかと、僕はひとりそう思って、寝る前にベッドの中で、「ウマイモンダナー」と感心しながら見ていたのです。 僕は毎晩のように夢を見る人ですが、楳図さんの絵を見て眠る日は不思議と夢は見なかったのです。眠る前にすでに悪夢を見てしまったので、夢の方も、わざわざ夢を見せることもないだろう、と言ったかどうかは知りませんが、不思議と安眠できたのです。 楳図さんが読んでくれていたこの「週刊新潮」に楳図さんの知らない間にこっそり、このエッセイを書いて、ある日、マネジャーが「週刊新潮」を買ってきて、楳図さんがこの「ドンマイ」のページを開いたら、そこに自分のことが書かれている! というように驚かせたかったですね。後の祭りで残念です。 楳図さんといつどこで知り合ったかは記憶にありません。和歌山の楳図さんの古里の山の森の中で、それも夜に会った記憶はあるけれど、それ以前の記憶はないのです。 次の記憶は成城のわが家に遊びに来て、二人の好物の豆ばかり食べていたこと。そして終電がなくなって吉祥寺までタクシーで帰るのかなと思っていたら、「僕車はダメです」と言って夜中に歩いて帰ったのですが、何時間かかったのか、聞き忘れました。 次の記憶は、楳図さんのあの赤と白のボーダー模様の家を訪ねた時で、家がそのまま玩具箱みたいで、どこからでも楳図さんが、「グワシ!!」と叫んで飛び出して来そうだったことを記憶しています。 その次は、楳図さんの家の近くのイタリアンレストランでご馳走になったこと。この頃は漫画を描くのを止めていて、今興味があるのは料理とイタリア語を覚えることだと言っていました。イタリアにでも行くのかと聞いたら、そうではなく、ただイタリア語だ、というのです。この楳図さんの非目的行為は実に素晴しい。僕も人生には目的を持つ必要がないと思っている人間なので、この一見無駄なことに情熱を燃やす無分別さにすっかり意気投合してしまったものの、僕はここまでの非目的な行為に対する情熱は持ち合わせておらず、楳図さんは、僕の先きをいっているなと感心したものです。 楳図さんとの最後のトドメは彼に僕の肖像画を描いてもらったことです。画面には大きい一枚のお皿が描かれていて、そのお皿の料理がなんとなく僕の顔になっているような絵で、その原画はアトリエ内のどこかにひっそりと、仕舞われているのですが、今すぐは出てこないと思います。 そんな楳図さんは今頃、向こうのどこかにいて、「この真暗な場所はどこなんだ」と叫んでいるように思います。そして彼は次のように暗闇の中で語りかけてくるのです。 「自分は前世で医者だった。恐怖的な人体を描いたのは、患者の血飛沫(しぶき)を前世でさんざん見てきたからだった。だから自分は注射や点滴が怖い。ここは暗闇だけれど、元気だ。この安全地帯は恐怖の暗闇ではなく、ここが母の胎内に思えて非常に安心なんだ。この暗さが、いわゆる異界なのかも知れないね。横尾ちゃんも人間の枠の中で生きているんじゃなく、枠を取りはずして生きてよ。宇宙は一瞬にして枠を取りはずすよ。また宇宙は考えることで悩まないよ。枠をはずすと悩みが悩みでなくなることが死んで初めてわかったよ。今度会う時はお互いに枠なし人間で会おうよね」 横尾忠則(よこお・ただのり) 1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。 「週刊新潮」2024年12月26日号 掲載
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