【闘病】遠位型ミオパチーで自分では何も出来なくなるも「むしろ楽になった」と語るワケ
遠位型ミオパチーは指や手首、足首などから徐々に筋力が失われ、筋肉が痩せていく疾患です。闘病者の川添さんは、10代で筋力低下を感じ始め、現在は車椅子での生活を送っています。指先だけがわずかに動くため、動ける指先を活かして仕事もしているそうです。 自力での生活は困難になりましたが、家族やヘルパーの力を借りながら日々の幸せを感じているといいます。川添さんが遠位型ミオパチーを発症してから、現在に至るまでの経過などについて話を聞きました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年5月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
始まりは高校生時代の筋力低下から
編集部: 最初に川添さんの発症した「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」についておしえてください。 川添さん: そもそも「遠位型ミオパチー」にはいくつか種類があり、いずれも遺伝が原因にある難病です。私の「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」は、GNE遺伝子の変異によるもので、体幹から遠い筋肉が障害されていきます。 指先や手首、足首など身体の先端から筋力が低下していくのです。進み方は人それぞれですが、平均で10数年で車椅子の生活になるようです。 編集部: 遺伝性疾患とのことですが、治療法はあるのでしょうか? 川添さん: 残念ながら、現在のところ治療法は見つかっていません。私の場合も定期的な受診と検査はしていますが、ほかは自分でリハビリを行うくらいです。 医師からも現状では治療法がない難病と説明され、筋肉維持のためにリハビリと経過観察が必要と説明されました。それ以外には、病気に関する情報収集と患者同士の交流を勧められました。 編集部: 病気が判明したとき、ショックも強かったのではないでしょうか? 川添さん: 私の場合は明確な原因が見つかったことでホッとしました。診断されるまでに検査で長い時間を掛けていたので、病気が診断されたときは「やっとわかったか」という気持ちでした。 それと幼いころから筋力が弱く、運動が苦手なことがコンプレックスだったので、それも「やっと原因を突き止めた」と思いました。いくつも大きな検査を行っていたので、難病の心構えはできていて、意外とネガティブになることはありませんでした。 編集部: 診断がついてから、生活にはどのような変化がありましたか? 川添さん: 私の病気は進行性ですので、身体の進行状況に合わせて身の回りの環境も変えていく必要があり、その点がとても難しいところです。進行状況に合わせて慣れない申請の手続き、生じてくる問題を介護用品で解決していき、次々立ちはだかる問題に対応する日々でした。 進行するたびに、頑張って何かに尽力していたと思います。今は車椅子での生活になり、自分では何も出来なくなったことで、むしろ昔より楽になった感じがします。 編集部: 普段の生活で気持ちの支えになっているものは何ですか? 川添さん: 大きかったのは家族とヘルパーさんの存在です。特に母には日頃から申請などで駆けまわってもらっていて、日常でもお世話になることが多いです。それにヘルパーさんもいなければ、自分では何もできないので大いに助かっています。 今の自分が難病でも幸せに過ごせているのは、周りの人の支えがあってのことなので支えてくれる人にはすごく感謝しています。また、医療従事者さんには常に良くしていただいているので、ただただ敬意と感謝の思いで一杯です。