【MotoGPコラム】「35歳までMotoGPで活躍できれば幸せ」7年目の中上貴晶、キャリアへの考えとは。生まれ変わるホンダの現在地やモチベにも苦しむ2023年……西村章ロングインタビュー
2023年シーズンのホンダ陣営は、グランプリ史上かつてなかったほどの辛酸を舐める一年になった。2018年に最高峰クラスへ昇格してLCR Honda IDEMITSUで走り続けてきた中上貴晶も、6年間の中で最も厳しい一年になった。活路を見いだせないシーズンをどんなふうに気力を奮い立たせて戦い抜いたのか、ホンダ自体が大きく変わろうとしている新たな一年に賭ける期待、そして、4歳のときからバイクで走り続けてきたレース人生とその後について……等々。2024年のプレシーズンテストが行われたセパンサーキットで、公式日程3日間初日の走行を終えた中上からたっぷりと話を聞いた。 【ギャラリー】MotoGP、セパンテストでF1インスパイアな空力マシン続々登場 ***** ―2023年は、中上選手が今までMotoGPを何年も走ってきたなかで一番苦しかったシーズンでした。ホンダ陣営全体が今までになかったほどの低迷でしたが、どうしてここまで苦労することになったのだと思いますか? 「やはり一番の理由は、方向性を見失っていたからだと思います。極端にいえば、バイクはライダー4人が違うモノを使っていて、『これで行こう』というものが定まりきらずにコロコロ変わるような状態でした。シーズン前半戦の課題はどちらかといえばリヤグリップだけだったので、そこにフォーカスしていたのですが、後半戦のシルバーストーンで新しいエアロが投入されてからは、さらに状況が悪化してしまいました。リヤグリップもさらに薄くなって、フロントのフィーリングも得られない、どこが限界なのかわからず、簡単に言うと、攻めると転んでしまうという状態です。限界値が非常に低くなってしまい、限られた時間の中でいろいろトライはしてあれこれ変えてもあまり改善がみられず、良くしていく方向を見つけられなくて、本当に長いシーズンでした」 ―それはつまり、バイクのベースそのものがまとまらなかった、ということでしょうか? 「そうですね。戻る場所としてのベースもなかったので、本当に探りながら各ウィークのセッションを進めて行ったので、まるでテスト走行をしながらレースをしているような感じでした。ウィーク中に何かを変更しても『ダメだったときはここに戻ろう』という場所がなかったのは、苦戦してしまった本当に大きな原因だと思います」 ―そんな苦しいシーズンで、どういう目標を立てて走り続けていたのですか? 「いや、正直キツかったですよ。自分自身も攻められないし、正直なところ、走る前から結果を望めない状態だったので、たとえば今回はトップテンを目指そうという目標すら言えないような状況でした。 予選のQ2入りも、あまりにも遠い目標すぎて、予選でこのグリッドを確保してレースに向けてさらに闘志を高めるという流れが途絶えてしまった感はありましたね。順位やタイムや、この選手に負けたくないという目標すら不透明なままスタートして、結局、特に得るものもなく結局ダメだった、というレースがたくさんあって、それが積み重なった一年になってしまいました。 特に後半戦は悲惨でしたね。さっき言ったように目標を立てられなかったので、ただレースに参戦して、転ばないようにぐるぐる走ってレースを終え、ときには前がいっぱい転んでポイントを取れて良かった、という結果だったので、本当に運だのみで、自分たちの実力で結果を摑み取ったわけではないので、乗っていても全然楽しくない。本当に、ただ走っているだけでした」