【いよいよ最終回「海に眠るダイヤモンド」】なぜ現代編を2024年ではなく、2018年にしたのか? 「最大の謎」ーー2018年を“あえて描いた”その理由
野木たちはつねに現代の苛烈な労働環境にあえぐ若者たちに寄り添ってきた。『海に眠るダイヤモンド』もまた、社会に見捨てられそうになる労働者たちに光を当てている。 昭和の炭鉱労働者と、失われた30年を生きてきた平成の労働者たち、2つの時代の人々に。 これが令和ではなく、平成の終わり目前の2018年を舞台にしたことで、いっそう、切なさが募る。 「失われた10年」といわれていた時代が解消されることなく、積もり積もって30年になろうとする2018年。
70年ぶりの労働法制の大改正が行われた年でもある。「働き方改革関連法」、残業時間の上限に罰則付きの規制が導入され、これによって社会は大きく変わっていくのだ。 実は、2018年とは、長らく労働者を描いてきた日曜劇場にふさわしい時代設定なのである。 ■はたして、ほんとうに端島の人たちは幸福だったのか 景気が低迷し、国力が衰えた平成。それに比べて昭和の端島の人たちは、玲央から見たら「思いきり笑って誰かのために泣いたり幸せになってほしいと願ったり」した、素敵な暮らしぶりだ。
だがはたして、ほんとうに端島の人たちは幸福だったのかとドラマを見て思う。 端島は1974年に閉山したのち、軍艦島という愛称で観光地化し、世界文化遺産となった。島全体が要塞のような、工場と街が機能的に設計された稀有な場をひと目見ようと訪れる人たちがあとを絶たないが、ここにはかつて、人々が生活していて、その生活が失われてしまったのだから。 振り返れば、日本は悲劇に見舞われるたび、立ち上がり復興してきたが、その中で大事なものをたくさん取りこぼしてきているのではないか。
端島パートが、ブルーの強調された画になっていて、ガラス瓶のなかに閉じ込めた夢のように美しく撮られているからこそ、そんなことを考えさせられてしまうのだ。 最終回で、端島の人たちが閉山後、どう生きたのかわかるだろうか。彼らの生き方が現在、報われていることを願う。
木俣 冬 :コラムニスト