60年前、広島・長崎の被爆者は世界で惨状を語った トルーマン元米大統領やオッペンハイマー博士とも面会
アメリカでは原爆被害が知られていなかったが、学校や教会での証言で自身の被爆体験や治療について話した。現地の人は「まだけが人がいるのか」と驚いていた。阿部さんはその時の様子を振り返って「自分が受けた被害は忘れません。恨んでいないと言ったら嘘になりますが、原爆の被害を今後誰も受けないようにとの思いで話したら、通じるような気がしました」と語る。 ホームステイ先の家族は心から迎えてくれた。アメリカ人の温かい心は、恨む気持ちを溶かした。共に平和をとの思いが芽生え、「原爆の生き証人」として伝えようと決意した。 ホストファミリーとは帰国後も交流が続き、日本で再会を果たした。阿部さんは3人の子どもを育てた後、2012年まで証言活動をした。「うつむきながら、傷を隠そうとして暮らしていた私に、平和巡礼は自信を付けてくれました。証言活動では修学旅行生にも体験を話しました。私の話を真面目に聞いてくれ、生きていてよかったという気持ちが湧いてきました」 平和巡礼から60年となった今年、高齢者施設から講演会場にかけつけ、約1時間にわたって当時の思いを語った。施設でも多くの記者と面会を重ねた。筆者の時は連日面会があったにも関わらず温かく迎え入れ、一つ一つ丁寧に、思いを込めて話された。「核兵器は決して使われてはいけない。廃絶が、広島で被爆した私の切なる願い」。そしてこうも語った。「優しい心こそが、平和への原点です」