ムール貝は船底に張りついて世界中へ広がった その摩訶不思議な「力」の秘密に迫った科学者たち
なぜ貝の殻は簡単に開かないのか
今回は、私自身がいま興味を持っていることについて書いてみたいと思います。 話は「貝の筋肉」からはじまります。人間の筋肉とは関係なさそうに思うかもしれません。しかし最近、これが研究の分野でつながってきています。まだ一般には知られていない情報だと思いますが、筋肉研究の歴史としても非常に面白い話題です。 筋肉研究の第一人者・石井直方 がん闘病中に病室で筋トレを続けた理由とは キーワードは「キャッチ」というメカニズム。これまでなかったディープな内容になりますが、お付き合いください。 もともとは私も貝の筋肉の研究からこの道に入りました。1977年、東京大学大学院に進学し、「ムール貝」という俗称で知られる「ムラサキイガイ」の筋肉の力学的性質を調べはじめたのが最初でした。 その後、イギリスのオックスフォード大学へ留学して行なった研究成果が『サイエンス』という世界的に権威のある学会誌に掲載される栄誉にも恵まれましたが、これも貝の筋肉の研究がテーマだったので、貝に対しては今も愛着があります。 19世紀の後半、「貝柱は不思議だ」と言う生理学者が出てきました。最初に言い出したのはパブロフというロシアの研究者のようです。彼はカキを手でこじ開けようとしてもなかなか開かないことに目をつけ、その強さがどのように生み出されているのかを考えました。 そこで殻の半分を固定し、片方に重りをぶら下げ、何時間耐えられるか実験をしたところ、丸1日たっても開かなかったそうです。その力を生み出している「筋肉」が貝柱をつくっている「閉殻筋」なのですが(アサリやシジミなどの味噌汁をつくると貝が開くのは、その筋肉が死んでしまったからです)、パブロフと後続の研究者たちは貝柱の筋肉の中にラチェット(一度ギュッと収縮させると鍵がかかったような状態となり、それ以上は動かなくなる装置)のような仕組みが入っているに違いないと考えました。 一度強く収縮したら、あとは自ら力を出さなくても自然に筋肉にロックがかかったような状態になり、大きな力が加わっても引き伸ばされない。そういう状況はエネルギーを使わずに済むので筋肉にとってはエネルギー的に好都合です。 その後、さまざまな研究者によって確かめられたその現象は「キャッチメカニズム」「キャッチ収縮」と呼ばれるようになりました。