『虎に翼』寅子が母・はるとの別れで子供のように泣きじゃくった「大事な理由」
6月20日(木)第59回: 「ただの娘」に戻った寅子が道男を動かす
母の最期に悔いを残したくないという理由で、逃げ出した道男をなんとか連れ帰ろうとする寅子の言動は、もしかするとこれまでで一番「自分勝手」で正しくないかもしれない。だが、これまでで一番「見栄」や「詭弁」をかなぐり捨てた純度の高い本音の姿とも言える。 道男に「大人は都合が悪くなると逃げる」と言われて「誰でも失敗はするの」と返し(このときの寅子は弁護士を辞めた自分のことを思い出していたはずだ)、「母親のために捜しにきただけのくせに」と言われて「だったら何?」と開き直る寅子は、自分の弱さを認めてありのままの自分を開示している。 もっと言えば、「まっとうな大人はね、一度や二度の失敗で子供の手を離さないの、離せないの! 関わったらずっと心配なの!」という寅子の言葉は、道男に対してというよりも、これまで心配や迷惑ばかりかけてきた自分に対して、はるが向けてくれた愛情のことを指している。ある意味、ここでも寅子は自分のことしか言っていないのだ。 しかし、家庭局の事務官でもなく、家裁の判事補でもなく、ただただ人の娘としての自分を開示し、気持ちをぶつけたからこそ、その姿は正しさを超えて道男の閉ざしていた心を動かしたのではないか。 再会した道男を抱きしめ、「よくここまで一人で生きてきたね」と道男のこれまでを肯定するはるの姿は、多岐川の理想とする「愛の裁判所」の実践そのもの。家裁の裁判官に一番必要で大切なものを、寅子はすでにはるから受け取っていたのだ。
6月21日(金)第60回: 人は子供をやりきって大人になれる
初めて家族の温かさに触れて「猪爪家の人になりたい」と思った帰属欲求を、花江への告白という形でしか表現できなかった道男。自分が本当になりたかったのは直人(琉人)や直治(楠楓馬)や優未(金井晶)のポジションだったのだと自分で気づけたのは偉いなと思う。彼に必要なのは「子供時代のやり直し」だったのだ。 「産んであげることはできないけど、もうおおむね同じようなもんよ」という寅子のセリフは、血縁によらない擬似家族の肯定だが、同時に寅子が劇中で初めて見せた「親の顔」のようにも見えた。 優未という娘がいるにもかかわらず、これまでその親子関係は割とドライに描かれてきたが、はるという親を失って初めて、寅子は「愛される子供」をようやく卒業し、本当の意味で「愛する大人」の側に回る覚悟を決めることができたのではないだろうか。 それは、昨日の回で道男に「ただの娘」としての弱さを開示して本音でぶつかり、はるの前で「死んじゃやだあ!」と赤子のように泣きじゃくったことで、子供時代をやり直し、「はるの娘」をちゃんとやりきることができたからだと思う。 よねが寅子に言い放った「いついなくなるかわからんやつの言葉は届かない」とは、親に売られ姉に駆け落ちされた子供時代の傷(見放されるという不安)を寅子に投影しているのであり、ある意味で寅子への最大級の信頼と甘えとも言える。そして、よねはそんな自分の弱さをまだ真の意味で受け入れられていない。本当はよねにも「子供時代のやり直し」が必要なのかもしれない。 そんな彼女の頑なさを、「お前は心の底から傷ついた。だから怖いんだな、また関わるのが」と解きほぐし、「俺の前でかっこつけるな」と弱さを開示しやすい環境を作ってくれる轟の存在は大きい。よねのそばに轟がいてくれて本当によかったと思う。 日記に、猪爪家のこれからの貯蓄・節約計画をしたためていたはる。父・直言(岡部たかし)は新聞のいい記事も悪い記事も等しくスクラップすることで寅子の過去を全肯定したが、母・はるは「寅子ならこのあたりまでいけるはず」と信じて期待をかけることで寅子の未来を全肯定した。 多岐川が「愛が理想を超えて奇跡を起こす」と言った、その愛が寅子に備わっていたとするなら、それは間違いなく直言とはるによって授けられ、受け継がれたものだろう。
福田 フクスケ(編集者・ライター)