小阪由佳、芸能界引退後に保育園で勤務 「心が壊れた私を子どもたちが救ってくれた」
15年ぶりに芸能界に復帰した小阪由佳さん(38)。18歳でデビューし、グラビアアイドル、タレントとして多忙な日々を送っていたが、わずか5年で芸能界を去った。心のバランスを崩して対人恐怖症、人間不信になり将来への不安を抱えるなかで、救いの手を差し伸べてくれたのが子どもたちだった。【後編】では、保育園で働き、新たな園の設立、コンサル業に精力を注いだ。保育事業への感謝の思い、携わって感じた問題点……。芸能事務所「cheer lead」の社長として、タレント育成のビジョンについても語ってもらった。 【写真】保育園で二人の子どもをあやす小阪さんはこちら! ※【前編】より続く ■子どもたちが救ってくた ――23歳で芸能界を電撃引退した時は、大きな反響を呼びました。その後に保育園で働くことになった経緯を教えてください。 人間関係の悩みや将来への不安で心が病んでしまい、芸能界をやめた時は人間不信、対人恐怖症になっていました。当時は「自分が売れていた」というプライドがあって。太ってしまった自分が世間に見つかり、落ちぶれたと言われる恐怖があったんです。社会に復帰するイメージがわかないなかで、子どもたちが心の壊れた私を救ってくれました。もともと子どもが好きというのがあって保育園で働くことを決めたのですが、子どもは「売れた小阪由佳」「落ちぶれた小阪由佳」という色眼鏡で見ないし、否定もしない。何の先入観もなく純粋に接してくれるので、人間らしい感情を取り戻せました。今振り返っても、ほかの仕事だったら社会復帰できなかったと思います。落ちていく自覚を抱えながら生きていく自信がなかった。本当に感謝しています。
――新たな世界で大変なことはありましたか。 大事なお子さまを預かるので、もちろん責任は重大です。朝の9時から夜の6時まで、午前7時入りだったら午後4時半までフルタイムで働いていましたが、業務と違う部分で苦労しましたね。芸能界から転職という変わった経歴で身元を隠して働いていましたが、バレてしまう。「なんでこの人はここで働いているの?」「変な人が来たらどう責任を取るんだ」と親御さんから言われて働けなくなり、保育園を転々とした時期がありました。 ――保育園で3年ほどアルバイト経験を積んだ後、千葉県市原市にウィズママ保育園を立ち上げ、都内の保育園のコンサル業にも携わりました。 忙しすぎて体調を崩したので今は保育事業をやめてしまったのですが、現場で働き、運営に関わったことは貴重な経験になりました。保育士の待遇に関しては給料が少ないとずっと感じています。給料を上げるために補助金や助成金を支給する自治体がありますが、補助金はいつ打ち切られるかわかりません。基本給が低いのでそこが上がらないと、保育士は将来への不安を持ち続けながら働くことになる。国や自治体が改善に取り組んでほしい思いはあります。 ■子どもの食事はデリケート ――ほかに感じた問題点はありますか。 保育園や幼稚園で子どもに対する虐待は絶対に許されないことです。でも、「子どもが給食を無理やり口に入れさせられた」というニュースが流れた時、保育士の研修で「子どもに無理に食べさせないようにしましょう」と国の研修を受けたりした時は、リスクヘッジしすぎじゃないかと感じました。もちろん、子どもが嫌がっているのに無理に食べさせてはいけないですけど、子どもの「ご飯、いらない」という言葉にはいろいろな意味があります。10%食べたくないレベルで少し気が変われば食べるのに、「わかった、無理に食べなくていいよ。下げるね」と子どもの感情を読み取らずに対応したら、自由保育でなくただの無関心です。「いらないの? おいしいよ」とコミュニケーションを取ることで、本当に食べたくないのか本心が見えてくる。自分の言ったことがすべて通るようになったら、子どもに生まれてくるものは孤独です。「無理して食べさせないでください」って言うほうが楽ですが、子どもの食事はデリケートです。今も保育事業の動きについては確認していますし、子どもの支援活動にもう一度取り組みたい思いは持っています。