最大の逆転劇は2004年の天山広吉! 過去3度あった下剋上優勝…カード編成から予想するG1優勝者(3)【週刊プロレス】
「G1クライマックス34」も各ブロックの3強が決まり、決勝トーナメントに突入。鷹木信悟、辻陽太が初戦を突破し、準決勝進出を決めた。過去にリーグ戦後に決勝トーナメントのシステムが採用されたのは12度(1995年、2000~2007年、2009年、2022年、2023年)。2000年、2022年は4ブロック制で各ブロック1位のみ進出だったが、それ以外は開催年によってリーグ戦突破のシステムは異なっていたものの、逆転優勝が可能だった。今回はリーグ戦の戦績と優勝との関係を過去のデータから探ってみる。 【秘蔵写真】あわやリングネームは“マウンテン・ギュー”!? 山本広吉が欧州入り
今年で34度目を迎えた「G1クライマックス」だが、毎年のように細かいルールは変更されている。2ブロック制で最高得点者同士が優勝決定戦を闘うのが基本だが、トーナメントで争われた年もあれば、2000年と2023年は4ブロック制。決勝トーナメントが採用された年もあれば、その進出者も各ブロック上位1位だけの年もあれば、2位、3位までの年もあった。 初めて決勝トーナメントが採用されたのは、リック・フレアーの参戦が目玉となった1995年。各ブロック4人の2ブロック制で争われたが、特別ルールとして採用されていたのが、「同点になった場合、勝ち試合のトータルタイムが短い方が上位になる」というもの。 Aブロックでは直接対決で時間切れ引き分けだったフレアーと蝶野正洋が得点3で2位タイとなったが、前述した規定によって蝶野が決勝トーナメントに進出。Bブロックではともに2勝1敗の4点で並んだ橋本真也とスコット・ノートンだったが、2勝分の合計タイムが短かった橋本が1位となった。 結果、ともにブロック1位の武藤と橋本が優勝決定戦に進出。武藤がIWGPヘビー級王者として初の「G1」制覇を果たし、「武藤敬司はますます驀進します!」の言葉を残した。 さて、決勝トーナメントが採用された過去12回のうち、逆転優勝が狙える形は10度。そのなかでブロック1位同士が優勝決定戦のリングに上がったのは前述した1995年を含めて7回。やはりリーグ戦をトップ通過した方が有利に働いている。 一方、リーグ戦2位以下同士で優勝争ったのは2007年の1回のみ(棚橋弘至vs永田裕志)。残り2回が1位vs2位という形だった。その2度でともに優勝を飾ったのが天山広吉。それも2003年、2004年と連続で下剋上優勝を果たしている。ただ、その内容は多少異なっている。 2003年は各ブロック上位2選手が決勝トーナメントに進出。Aブロック2位で通過した天山が、準決勝でBブロック1位の高山善廣を、最終決戦では同ブロック1位の秋山準を撃破しての優勝。 翌2004年は各ブロック上位3選手が決勝トーナメントに進出する形だったが、Aブロック3位で蝶野と中邑真輔が並んだため、準々決勝前に決勝トーナメント進出者決定戦がおこなわれた。しかも1DAYトーナメント。逆転優勝を果たすには1日3勝しなければならない。残念ながら3位に滑り込んだ中邑は準々決勝で敗退。ただ、あまりにも過酷とあって、このあとから現在採用されている「同点で並んだ場合は、直接対決で勝利した方を上位とする」規定が定番化した。 決勝トーナメントでブロック1位選手を連破して逆転優勝を果たしたのは過去に天山しかいない。現時点では最大の下剋上優勝といえる。それ以上の逆転優勝を狙えるのが、Bブロック3位で決勝トーナメント初戦を突破した辻陽太。「ニュージャパンカップ」との“春夏連破”が注目されているが、それを果たせば“史上最大の下剋上優勝”の看板が副賞として贈られるが、さてどうなる? 橋爪哲也
週刊プロレス編集部