村田諒太に勝った38歳元プロ佐藤幸治がRSC負けで東京五輪の夢絶たれる「挑戦できたことが幸せだった」
佐藤は日大―自衛隊体育学校を通じてアマ13冠の実績を持つ。“アマ最強の怪物”と呼ばれ、2003年の全日本のミドル級決勝では高校時代の村田諒太にRSC勝ちしている。だが、シドニー、アテネ五輪と出場権を得ることができずにプロ転向。3年目にOPBF東洋太平洋ミドル級王座を獲得、2009年4月に敵地でWBA世界ミドル級王者のフェリックス・シュトルム(ドイツ)に挑戦したが、7回TKO負けし、その後、再起、東洋王者に復活したが、2011年に淵上誠との東洋と日本ミドル級王座の統一戦に9回TKOで敗れて引退した。 その後、不動産会社や世界を旅する豪華客船の従業員など職を転々していたが、4年前に知人の紹介で知子さんと結婚、長男・大吉君が生まれ、世界的な要人、有名人をボディガードする警備会社に就職し腰を落ちつけていた。だが、山根明・前会長の失脚騒動で、プロアマの壁に風穴があき、引退後6か月が経過した元プロにアマチュア復帰の道が開けたため、佐藤の“残り火”に火がついた。東京五輪を目指し7年ぶりに現役復帰を決めたのである。 会社を休職。数百万円の借金をして、1日に3度のトレーニングで錆びついた肉体を磨き、全日本の予選を勝ち抜き、ついに東京五輪代表への玄関口付近にまで辿り着いた。スパーリングが終わるたびに全身を湿布だらけにして38歳の肉体に鞭を打った。だが、15歳下の優勝候補、森脇の俊敏なステップワークとスピード、豊富な運動力についていけなかった。 過ぎ去った時間はオールドボクサーに残酷な現実を突きつけた。 「すべてをかけていました。家族に迷惑をかけ、息子とも1年間、まともに遊んでもやれなかった。オリンピックに出れなくては挑戦に何の意味もないんです。でもこれまで元プロ選手にアマチュアで試合をするチャンスはゼロでした。それがもう一度、チャンスが生まれ、ここまで挑戦ができただけで幸せです。ボクシングに感謝したい」 遠く鹿児島の会場には、帝拳の後輩である元WBC世界バンタム級王者、山中慎介氏、元3階級制覇王者の長谷川穂積氏ら多くの知人、友人が応援に駆けつけてくれていた。 「この期間、ありがとう、夢を見させてくれた、と、先輩や後輩が応援してくれました。その皆さんの気持ちが嬉しかったし、僕がここまで頑張れたのも、そのおかげです。実は、明日からまたたくさんの応援の方々が来てくれる予定だったのですが……」 妻・知子さんと大吉君も準決勝、決勝の土日に応援に来る予定だったがキャンセルになった。 「今はボクシングを考えたくない。僕はシドニーもアテネも五輪は見ませんでした。だからきっと東京五輪も見ないんじゃないですかね。でも、この挑戦した時間は無駄じゃなかったと思うんです。男たるもの強くなければいけない。その気持ちは失っていません」 佐藤は「非暴力、不服従」を掲げたインドの偉人、ガンジーの言葉を引き合いに出した。 「ガンジーは言っています。“正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ”と」 オールドボクサーは奇跡を起こせなかった。 物語はハッピーエンドとはいかなかったが、ずっと人生に燃えるものを求め続けてきた男が、もう一度、本気で夢を追った。この1年の時間こそ、佐藤が多くの人たちの愛情をバックに作り出した奇跡の時間だったのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)