前代未聞!?選手の家族の前で『実家プロレス』開催!裏庭から仏間までいたるところが戦場となり、母の下着で顔面KO!
6月21日(金)、前代未聞のプロレスラーの実家という極めて特殊なシチュエーションで『佐藤光留プロデュース興行 ニコプロpresents~実家プロレス』が開催。 数多くの生観戦希望者のなかより厳正なる抽選によって選ばれた5人と大会スポンサー2人を加えた7人の歴史の目撃者たちが見守る中で、佐藤の実家の内外すべてを戦場に佐藤光留と髙木三四郎の死闘が繰り広げられた。 佐藤光留は1999年にパンクラスに入門し、2000年2月にデビュー。パンクラシストとしてキャリアを積み重ねてきたが、当時DDTが主催していた『ハードヒット』でプロレスデビューし、その後プロレスへ本格参戦。名だたるメジャー団体から全国各地のローカルインディー団体、さらには女子団体などあらゆる団体で活躍。DDTからハードヒットの権利を譲り受けてからは現在進行系のUWFの担い手として「格闘技としてのプロレス」を掲げ興行を行ってきた。 さらに『ハードヒット』だけではなく独自のコンセプトを持つ数多の大会を毎月主催しており、個人として最もプロレス界に貢献している選手の1人であると言える。 御年54歳の髙木三四郎は1997年にDDTプロレスリングの旗揚げメンバーとなり、2006年1月29日にDDTの社長に就任。以降『大社長』としてDDTをけん引してきたが、2017年9月にDDTの株式を売却しサイバーエージェントグループ入り。株式会社CyberFightの社長に就任し、同グループには東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレス、プロレスリングNOAHが合流。だが今年5月に社長を退任し副社長になり、7月21日のDDT両国国技館大会を以てプロレスラーを休業すると宣言している。 実家プロレス対戦前夜、髙木はSNSで「昨年9月、20年ぶりの全日本プロレス参戦。佐藤光留のせいで私は一歩もリングに足を踏み入れる事なく試合が終わってしまった。。。それから9ヶ月、代々木第二体育館から佐藤光留の岡山の実家に場所を変え、再び戦う時が来た。#実家プロレス メチャクチャにしてやる」と不穏なコメント。該当する全日本プロレス代々木大会では髙木は佐藤と場外乱闘に終始、結局一歩もリングに足を踏み入れる事なく試合が終了したことで、佐藤への遺恨を募らせていた。