「ターフ/TERF」とは何か?...その不快な響きと排他性の歴史
<「ターフ(TERF)」という概念はいかに発明されたのか? 本書によって職を追われたイギリス・サセックス大学の元教授キャスリン・ストックの話題書『マテリアル・ガールズ』より>【キャスリン・ストック(元イギリス・サセックス大学教授)】
多様な「性」を尊重する社会づくりが世界的に進む一方で、複雑化した「ジェンダー概念」への理解が追いつかず、社会的混乱が起きている。 【動画】著書『マテリアル・ガールズ』で職を追われたキャスリン・ストック(イギリス・サセックス大学元教授) 生物学的性別よりもジェンダーを優先する、いわゆる「ジェンダーアイデンティティ理論」が生まれた思想的背景を、ボーヴォワール、ジュディス・バトラーなどを振り返りながら丁寧に説明した本書。 しかし、その本を刊行したことによって辞職に追い込まれた、キャスリン・ストックの話題書『マテリアル・ガールズ:フェミニズムにとって現実はなぜ重要か』(慶應義塾大学出版会)より一部抜粋。 一部のフェミニストは他者を糾弾してキャンセル活動に勤しむなど、なぜここまで排他的なのか? その思想の背景について。 ■「ターフ」という概念が発明された 2000年代後半から、ジェンダーアイデンティティ理論に対する知的な批判は、すべて偏見に満ちた立場から生まれているという理由で否定されることがますます一般的になってきた。 ジュリア・セラーノは『ウィッピング・ガール』のなかで、自分の考えに対して起こりうる反論は、「トランスフォビア」、「ホモフォビア」、「トランス・ミソジニー」、「逆性差別」、「ジェンダー不安」の産物であるとして、さまざまに否定している。 2009年のインタビューのなかで、ジュディス・バトラーは「『トランス女性』の生きた身体性を拒絶するフェミニスト警察」について語り、そういう人びとの主張を「トランスフォビックな言説」で、「身体切除」の一形態と呼んでいる。 イギリスの運動団体ストーンウォールのオンライン用語集は現在、トランスフォビアを次のように定義している。 「トランスであるという事実に基づいてだれかを恐れたり嫌ったりすること。それには、ジェンダーアイデンティティを否定したり、受け入れることを拒否したりすることが含まれる」(強調は引用者)。 これを省略抜きに説明すればこうなるだろう。ストーンウォールの定義は、「ジェンダーアイデンティティを否定すること」や「それを受け入れないこと」を、それがどのような理由からのものであれ、すべて恐怖や嫌悪から生じるものとして明確に位置づけるものである、と。 たとえジェンダーアイデンティティ理論の知的な背景を考察した結果、それには欠陥があると感じ、そのことを理由にジェンダーアイデンティティを「受け入れない」という場合であっても、本当の理由はもっと深い恐怖や嫌悪にあるはずだ、というのである。 2008年、ジェンダーアイデンティティ理論の批判者の動機を貶(おとし)める動きは、「ターフ」という用語の発明によって大いに弾みがついた。 ターフとは「トランス排除的ラディカル・フェミニスト(Trans Exclusionary Radical Feminist)」の略語(TERF)であり、アメリカのヴィヴ・スマイスの造語と言われている。 スマイスはフェミニズム的な内容のブログを運営しており、そのなかで2008年に、「ミシガン女性音楽フェスティバル」(通称「ミシフェス」)について投稿した。 1976年に始まったミシフェスは、ラディカル・フェミニストの主催者たちによって、女性だけの、あるいは主催者たちが名づけたように「女から生まれた女」だけのものとして構想された。 参加者のなかには、同じ生物学的性別どうしという伝統的な意味でのレズビアンが多く存在した。その後、この音楽祭は、「トランス女性」をイベントから明確に排除したことで物議を醸すようになった(実は、この論争の影響もあり、2015年にミシフェスは廃止された)。 スマイスはブログの読者からミシフェスの宣伝をしたことをすぐに非難され、その後、公に謝罪する過程で、ターフという略語を作り出した。スマイスは、今後いかなる「トランス排除的フェミニスト・イベント」も宣伝しないと約束した。それに関連して、「私の決断が、一部のトランス排除的ラディカル・フェミニストを怒らせる可能性があることは承知している」と書いたのだった。 印象に残る略語の多くがそうであるように、「ターフ」という言葉は急速に広まった。おそらくその不快な響きと、侮辱や脅迫として連呼しやすいことも後押ししたのだろう。 スマイスの当初の説明では、ターフは定義上フェミニストであった。だが、後に一般的に使われるようになったこの言葉は、ジェンダーアイデンティティ理論を形成する一連の考え方に対して、いかなる理由からであれ、少しでも批判的な視点を持つすべての人を指すようになった。 実際、ジェンダーアイデンティティだけでは女性や男性とは言えないのではと悩むだけで、「トランス女性」や「トランス男性」自身すらターフと呼ばれるようになった。 一般に、ジェンダーアイデンティティ理論の擁護者が、批判に対して攻撃的な態度をとる傾向があるのはなぜだろうか。その答えの少なくとも一部は、ジェンダーアイデンティティ理論の知的前提、とくにバトラーの哲学的世界観にあるように思われる。 バトラーは、社会的であれ生物学的であれ、男性や女性というカテゴリーは必然的に「排除的」であると考える。つまり、男性と女性の自然で「正しい」あり方について、一定の制限的な理想やステレオタイプを優先させるものだと考えるのだ。 この見解によれば、社会的または生物学的な女性なるものを自然で、あらかじめ与えられたカテゴリーとして主張しようとすれば、暗黙のうちに含まれた理想を満たさず社会的に疎外される人びとを、つねにどんな理由であれ、事実上「排除」することになり、それゆえに批判されるべきである、ということになる。 この背景には、さらに哲学の世界で「スタンドポイント認識論」と呼ばれているものが影響している。これは、ある種の知識は社会的に規定されており、特定の社会的状況に置かれている場合に限りその種の知識を容易に獲得することができる、という考え方である。 この用語はもともとマルクス主義に由来するもので、抑圧された人びとは、自分自身の視点と自分を抑圧する者の視点という2つの視点や立場つまり「スタンドポイント」を同時に洞察できるのに対し、抑圧者は1つの視点(自分自身のそれ)しか持つことができないという考え方をいう。 労働者は資本家のルールと世界観に従うので、資本家の立場を洞察することができる。それに加えて、労働者は、自分たちが社会的に置かれている立場について、資本家にはない深い知識をも持っている。 この考え方は、フェミニズム、批判的人種理論、トランス運動など、いくつかの社会運動で採用されている。 トランス活動家によって展開されたスタンドポイント認識論によれば、トランスの経験についての立場に基づく知識には、シス[編集部注:生まれ持った性別と性自認が一致している人]ではなくトランスの人びとだけが得られる特別な形態があるという。 たとえば、トランスの人びとだけが「シス特権」の悪質な影響や、それがほかの形態の抑圧とどのように交差し、ある種の生活体験を生み出すかを正しく理解することができるとされる。 いくつかのフェミニズムや批判的人種理論のバージョンでも起きたことだが、大衆文化を通じて変容することで、この考え方はただちに次のようなものになった――ジェンダーアイデンティティに関する哲学的な問題を含め、トランスの人びとの性質や利益について正当に何かを語ることができるのはトランスの人だけだ。 フェミニストやレズビアンも含めて、シスの人がここで貢献できることは何もない。自分たちにも何か貢献できることがあるというシスの思い込みは、自分たちの不相応な特権のさらなる表れである。 トランスの哲学者であるヴェロニカ・アイヴィーの言葉を借りれば、ターフを含む「シスの連中」は、「座って黙っている」だけでいいというわけだ。
キャスリン・ストック(元イギリス・サセックス大学教授)