ソフトバンク和田毅「7月頃に引退決意」も美学貫き周囲に伝えず…引退試合断った真剣勝負へのこだわり
ソフトバンクの和田毅は、5日の現役引退記者会見で充実感を漂わせながら自らの野球人生を振り返った。日米通算165勝を挙げた左腕に、野球界からはねぎらいや感謝の言葉が多く寄せられた。 【写真】新人王を獲得した和田毅は最優秀選手に選ばれた城島健司と笑顔を見せた(2003年10月)
22年間のプロ生活にピリオドを打った和田は、球の出どころが見えにくいフォームから繰り出す切れのある速球にこだわってきた。「軸となる球で、一番アウトを取れる確率が高かった」。40歳代になっても「けがをする直前のぎりぎりまで追い込む」とトレーニングを重ね、2022年5月には41歳で自己最速の149キロをマークした。
昨季はチーム2番目の8勝を挙げ、今季も本拠地開幕戦の先発投手に指名された。しかし、左手指を負傷して登板を回避。その後も腰や膝などのけがが重なり、「体がうまく機能しなくなった」。8試合の登板で2勝2敗にとどまった。
7月頃に引退を決意したが、シーズン終了まで限られた人にしか伝えなかった。「和田のために日本一になろうとか、そういう空気にしたくなかった。リーグ優勝したのはチーム全員の力。その中に私情を挟みたくなかった」と美学を貫いた。少しでも勝利に貢献しようと、シーズン終盤には慣れない中継ぎで登板した。
球団から打診を受けた引退試合についても「最後のわがまま」で断ったという。公式戦で打者にわざと空振りしてほしくはなかった。相手への配慮とともに、真剣勝負を貫いてきた自負があるから、「22年間で奪ってきたアウトの中に、その一つのアウトをいれたくない」との思いが強かった。
ファンに別れを告げる機会は、来春のオープン戦で作れないか球団と相談しているという。引退後については「野球以外の勉強もして引き出しを増やしたい」。いずれは球団と野球界に恩返しするつもりだ。(渡辺直樹)
ソフトバンク・王貞治球団会長「悩んだことも多かっただろうけど、それを乗り越えてやろうという強い意志を持っていた。本当によく頑張った。彼の生きざまは若い選手たちにもずいぶんお手本になった」
◆わだ・つよし=島根・浜田高から早大を経て2003年にドラフト自由枠でダイエー(現ソフトバンク)に入団。日米通算で165勝94敗、防御率3・19、1989奪三振。日本代表としてもアテネ、北京の両五輪に出場し、06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では優勝に貢献した。