浸食で失われた砂浜再生へ事業化10年で進捗8割 防災対策と景観保全を両輪に、官民一体で整備や利活用策協議 観光のまち復権目指す指宿
鹿児島県指宿市の指宿港海岸で、浸食された砂浜を再生し堤防を整備する国土交通省直轄の防災工事が進んでいる。2014年の事業化から10年がたち、今年4月1日時点の進捗(しんちょく)率は約8割。総事業費は180億円で、27年度末の完成を見込む。沿岸地域では越波や浸水被害が減り、復活した砂浜の利用も広がっている。官民一体で取り組んできた活動の経緯と展望を探る。 【写真】砂浜の再生や堤防の整備が進む指宿港海岸一帯=1月8日
白い砂浜の上で、歓声がこだまする。10月27日、指宿港海岸であった「砂むしCUPビーチバレー大会」。県内外から31チーム約160人が参加し、熱戦を繰り広げた。バレー仲間4人で出場した熊本市の公務員小橋佑芽さん(25)は「砂がふかふか、さらさらで気持ちいい。市街地からも近くて便利」と笑顔だ。 大会は海岸の活用や環境保全を図る狙いで、住民や事業者らでつくる「指宿港海岸保全推進協議会」が主催し12回目。会場となったエリアは国が砂浜を造成する養浜工事を行い、20年から一部開放が始まった。「YELLOW COAST IBUSUKI」の愛称で、散歩やイベント時に足を運ぶ人々も増えている。 同協議会の南荒生会長は「指宿港海岸は市民の誇りであり、今後の活用次第で光り輝く原石だ。貴重な観光資源や憩いの場として、幅広くPRしていきたい」と力を込める。 ■ □ ■ 同海岸は古くから市民に親しまれ、浜競馬などの催しも開かれていた。だが1951(昭和26)年、南九州を襲ったルース台風の高潮や高波で砂浜が浸食。その後、災害対策を優先し離岸堤や護岸が整備されたが、新たな砂の供給源がないまま流出が続いた。
同市湊3丁目の片野田耕作さん(72)は幼少期、浜辺で野球を楽しみ、魚を並べて干す光景を見て育った。大人になる頃には砂浜がほぼ消失し、護岸のすぐ手前まで波が押し寄せるように。台風のたびに越波や浸水に悩まされ、2年連続でエアコンの室外機が流されたこともあるという。 そんな中、防災対策と観光地らしい景観づくりを両輪で進めようと、住民や事業者ら有志が立ち上がる。2009年に同協議会を設立し、国に対する要望活動を開始。行政と連携し、整備方法や利活用策について意見を出し合うワークショップも開催してきた。 取り組みが結実し、海岸整備は14年に国直轄で事業化。養浜工事と合わせて複数の離岸堤が設置され、片野田さんは「越波や浸水被害がなくなり、ありがたい。周辺のにぎわいも戻ってきた」と目を細める。 ■ □ ■ 事業には“難所”も待ち受ける。その一つが、天然砂むし温泉があるエリアだ。同温泉を巡っては、専門家を交えたワーキンググループで、泉源のメカニズムや工事が与える影響について調査してきた。その過程で、事業期間は27年度までに延長。昨年3月には、同エリアの養浜はしない方が良いとの結論が出された。
養浜なしに高波や砂の流出を防ぐには、護岸や突堤の役割がより重要になる。観光客も多数訪れる地域だけに、景観への配慮も必要だ。現在、突堤の素材や形状の検討を進めている。物価高や人件費の上昇も続いており、計画にさらなる変更が生じる可能性もある。 同協議会では、引き続き国へ整備促進と早期完成を要望する方針だ。国交省鹿児島港湾・空港整備事務所指宿港海岸分室の黒木英明海岸課長は「難工事は続くが、地元の協力もいただきながら喜ばれる海岸に整備していきたい」と話す。
南日本新聞 | 鹿児島