「オレはバカじゃないか」余命は短くて10年…経済評論家・岸博幸が振り返る、がんを宣告された日の医師との“押し問答”
ただし、1ヵ月後の3月以降のスケジュールであれば、調整可能かもしれない。そこで、「入院は1ヵ月待ってほしい」と訴えたのだが、主治医も、「不整脈を起こしたら死んでしまうかもしれないのだから、一刻も早く治療を始めるべき」と言って譲らない。 ちなみに、多発性骨髄腫の状態は、血液中の免疫グロブリンの値で判断するようだが、そのうち免疫グロブリンGを例にとると、その基準値は上限が1747で下限が861であるのに対して、僕は10145というかなり異常な数値だったので、主治医がこう言うのも無理はなかった。 それから、「今日にでも入院を」「1ヵ月後じゃないとムリ」と、押し問答が始まったが、「オレはバカじゃないか」と内心思っていた。だって、その道の第一人者から「今すぐ治療を始めないと命を落とす危険がある」と言われているのに、治療を後回しにし、仕事を優先しようとしているのだから。 仕事を引き受けたからには責任があるとか、自分の仕事に対するプライドだとか、もっともらしい理由はいくらでも言える。でも、そんな“屁理屈”を並べて、仕事を優先した結果、命を落としてしまったら、単なる大バカ者だ。 でもまぁ、この時に感じた「自分はとことんバカだ」という反省が、その後の自分なりの悟りにつながるのだが……。 最終的に、「2月中は、通院で容体を監視しながら治療を始める」「水分と栄養と睡眠時間をたっぷり摂る」ことを条件に、主治医には3月入院を認めてもらった。 今思い返しても、一番大変で、ストレスフルだったのは入院までの1ヵ月だった。週に1回は注射と体調チェックのために病院に行き、毎日多量の薬を服用し、生活習慣も改めた。それまでの僕は不摂生の典型で、食事は1日1回かせいぜい2回で、水分もあまり摂らなかったけれど、朝昼晩と食べるようにし、水分も頻繁に摂るようにした。睡眠時間も1日4~5時間だったのが、最低でも6~7時間は眠るように心がけた。 そうした生活を送りつつ、いつ、どこで不整脈を起こしてもおかしくないのだと内心常に恐れながら、日帰りの地方出張を繰り返す。そんな精神的に余裕がない状況が、約1ヵ月続いた。 「頭を洗うと、ごっそり抜ける」抗がん剤の副作用でスキンヘッドに…落ち込む岸博幸を救ったのは“やしきたかじんの妻”の言葉だった へ続く
岸 博幸/Webオリジナル(外部転載)
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