「オレはバカじゃないか」余命は短くて10年…経済評論家・岸博幸が振り返る、がんを宣告された日の医師との“押し問答”
また、骨髄腫細胞は、骨を壊す細胞を活性化するだけでなく、骨を再生する細胞の働きも抑えてしまうため、結果的に骨がもろくなり、骨折しやすいのだとか。実際、僕は、この病気が発覚する前にスキーで派手に転んでしまい、以来ずっと胸の骨に激しい痛みを感じていたのだが、入院後の検査で骨にヒビが入っていることが判明。今思えば、あの頃すでに多発性骨髄腫を発症していたのだろう。 主治医から、「出張の帰りに寝込んでしまうのは、ひどい貧血が起きていたからです」と説明された。自覚はまったくなかったものの、どうやら病状はすでに進行していたらしい。 ちなみに多発性骨髄腫は、治癒することが難しい疾患でもある。だから治療の目的は、完治ではなく病気との共存になるようだ。僕は一生この病気とつきあいながら、普通の生活を送ることを目指していく。 幸い現在はさまざまな治療法が確立されていて、主治医いわく、僕の年齢なら、そうした治療を施せば、あと10年や15年は大丈夫だろうとのことであった。動揺していたこともあり、あえてその言葉の意味を詰めなかったが、つまり短く見積もって余命10年~15年ということなのだろう。僕は、自分なりにそう理解した。 病名を告げられた時、僕は60歳だったから、残りの人生は70歳、長くても70代半ばくらいまでになる。 こんな風にして僕は、唐突に自分の人生の残り時間を突きつけられてしまったのだ。
入院時期をめぐって主治医とバトル
体調の悪さが病気のせいだとわかったこと、その病気に対する治療法が確立されているということ、治療すればあと10年から15年は生きられるということ。主治医の説明は丁寧でわかりやすかった。 ただ、主治医から「血液数値が異常なレベルなので、今日から入院してもらい、治療を開始したい」と言われた時は困った。 すでに翌月(2月)は、休みがないくらいに仕事のスケジュールが埋まっていた。特にテレビや講演などは、かなり前から予定が組まれるので、直前キャンセルとなれば、多方面に迷惑がかかる。それは、仕事人間の僕としては本意ではない。
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