小澤征爾とポリーニ、新世代の若者たちが切り開いた「新たな美」とは何だったのか?
世界的指揮者の小澤征爾が今年2月6日に逝去(享年88歳)、3月23日には現代最高のピアニストと言われたマウリツィオ・ポリーニが逝去した(享年82歳)。 【画像】今、ヨーロッパの名指揮者たちは「お蔵入り曲」を熱演中! 同時代を駆け抜け、ともに一世を風靡したクラシック音楽界のふたつの巨星は、老いて体が思い通りに動かなくなっても舞台に立ち続けた。 ふたりの壮年から晩年に至るまでの演奏を客席で聴いてきた音楽評論家の許光俊さんが、それぞれの音楽を振り返る。
ステージへのすさまじい執着
指揮者の小澤征爾が逝去したというニュースは、大きく報じられた。続いて、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニの訃報も届いた。ふたりとも80代だった。 小澤は長いこと病気を患っており、もはや指揮者としての活動は不可能になっていたが、車椅子に乗ってステージに姿に現すとファンは喜んだ。 ポリーニは、往年の輝きがとっくに失せているどころか、その日のコンサートを無事に終えられるかどうか心配されるほど衰えていたけれど、それでもコンサートホールから引退はしなかった。 昔は、演奏家はほぼ現役のまま死を迎えたものだが、現代の演奏家の少なからずは、もうどうにもこうにも仕方がないというくらい肉体が弱ってから引退を表明し、少しして死ぬ。 クラシックの演奏家は、芸能人と同様、生きているうち、それも精力的に活動しているときが華である。長くコンサートをしてきた人たちはそれをよく知っているから、ステージへの執着にはすさまじいものがある。テノールのプラシド・ドミンゴは80歳を過ぎても世界各地で歌っている。ステージに出ることが人生なのである。
小澤に与えられた「使命」
小澤とポリーニが、一世を風靡した演奏家であったことは間違いない。 小澤は世界的な指揮者だったが、ひとつひとつのコンサートやレコーディングがいいとか悪いとかを言ってもあまり意味がないだろう。各論で論じれば、小澤の演奏は疑問だらけだった。彼が、ことにドイツ音楽に関してとんちんかんだったことは、ナイーヴな愛好家はともかく、専門家にはよく知られていることだった。ただ、訃報のようなときには礼儀として言われないだけだ。 小澤はウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めたが、その間、ドイツ・オペラの名作で大評判を取ることはできなかった。そうなるであろうことは、最初からわかっていたから、辞めてしまえという辛辣な批判が殺到することもなかった。 ただ、公平のために言っておくと、小澤に先行してウィーンの監督職に就いたのは、アメリカ人のマゼールだったり、イタリア人のアバドだったり、決してドイツ音楽のオーセンティックな大家ではなかった。 しかし、少なくとも彼らは小澤以上に期待されていたから、かえってひどい非難を受けた。ウィーンのオペラは、そのように次々に誰かに期待して呼んではつぶしてきたという、まったくもってろくでもないところで、カラヤンですらその犠牲者だった。 少なくとも、小澤は比較的円満退社ができた珍しい例となった。 小澤には、個々の演奏のよしあしを超えた歴史的な使命が与えられていた。つまり、クラシック音楽は、決して西洋の枠組みの中に留まるものではなく、世界中の人々に受け入れられ、理解されるものであることを証明するための。 その使命、天命と呼んでもよかろうが、それを彼は申し分なくこなした。仮に彼がドイツ音楽の最上の解釈者でないにしても、それは彼個人の資質によるものであり、いつかよりオーセンティックなベートーヴェンを演奏するアジアやアフリカ出身の指揮者が登場するはずだと思わせるほど。 それに小澤には異様なほどのカリスマ性があったことも事実だ。小澤の棒の下で、多国籍の学生オーケストラが、あるいは怠けがちなイタリアのオーケストラが、あっけにとられるほどすばらしい演奏をした例を、実際私は知っている。