他人に大金を費やす「推し活」は間違っている…死の淵に立ったブッダが説いた「正しい推し活」のあり方
■お金や時間をどんどん費やしてしまう心理 その後、2012年にアニメ『アイカツ!』が始まると、アイドルとオタクの親和性から、ライブに行ったりグッズを買ったりするなどの活動が「オタ活」として知られるようになり、自分が推すアイドルをさまざまなかたちで応援する「推し活」が浸透。2021年には「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされるようになったという。 そこにAKB48が登場。「会いに行けるアイドル」としてオタクと直接交流をする機会が増えると、オタクがメンバーを「推し」、アイドルが「推される」という相互関係が注目されるようになった。2012年以降、彼女たちの序列を決める総選挙がゴールデンタイムにのテレビ中継されるようになり、「推し」が広く一般に知られるようになった。 さらにその推し活に「オタ活」的要素が加わってゆく。従来の「ファン」という側面に加えて、「どれだけ“推し”にお金や時間をたくさん費やしたか」という、マニアやコレクターとしての意味合いが加わっていったのだ。 ■「推しのために生きる」までエスカレート どんなことでも、過ぎたれば必ず問題を引き起こす。 たとえそれが本人の生活や人生に支障を来たすほどの「推し活」であったとしても、学校や会社、仕事に対する優先順位やモチベーションが低い人、未来への夢や希望を見いだせない人にとっては、目の前の「推し」に消費を積み重ねていくことがご褒美となり、日々の活力や安寧感にもつながるという。 それは真の活力でも安寧感でもなく、一時的な高揚感と幻想でしかないのだが、「推し活をしている間はツライ日常を忘れることができる」「推し活のためにしたくない仕事を続けられる」というように、推しへの消費そのものが自身を励ますことや甘やかすことにつながるため、「推しのために生きる」という者まで出現するようになった。
■親のクレカで700万円を費やした女子高生 さらにテクノロジーの進化が、「推し活」を悪き方向へエスカレートさせてゆく。 配信機能の充実や配信アプリの普及により、ライブ配信やSNSなどでファンが推しに対して送金する「投げ銭」と呼ばれる「推し活」が流行し始めたのだ。 投げ銭は、推しであるアーティストにもほかのファンにも認識されるオープンな場所で行われるため、特別感を味わうことができる。自分が投げ銭をすることで推しから名前を呼んでもらえる、感謝の言葉をもらえる、優先的に質問に答えてもらえるなど、推しが自分に注目してくれることで、エゴが強烈に満たされるのだ。 また、高額であればあるほど推しが注目してくれるために、投げ銭額は当然のごとくエスカレートしてゆく。かくして消費生活センターに寄せられた相談のなかには、親のクレジットカードを使って700万円もの投げ銭をした女子高校生もいたという。 廣瀬氏はこの記事の締めくくりとして「推し活は、他人の人生に自身の生きがいを見いだす行為でもあります。現実社会がつらいから推しを消費するというマインドが強くなるほど、依存性が増し、その対象を「消費」をすることそのものが自身への救済につながるという感覚も強くなってしまうのです」と、エスカレートした推し活に警鐘を鳴らしている。 ■行き着く先は「法で裁けないカルト」 「推し活」の対象は何もアイドル、アーティストに限らない。俳優や韓流スター、アニメやホストやホステス、政治家や宗教に至るまで、本人の経済力に見合わない推し活は、「推す者」の生活や人生に支障をきたす。 さらには、「推される者」をもカルト化させてしまう可能性を秘めている。「推し活」がビジネスとして莫大な富を産むなら尚更だ。 決して違法なことを行なっているわけでもなく、メディアでも憧れとして注目を集めるインフルエンサーの中にも、カルト的な推しが散見される。 カルト化したインフルエンサーは対象者をマインドコントロールし、その行動や思想、考えることを停止させ、操り人形化する。推している側も、推されている側も、「これはおかしい」「行き過ぎだ」と、反省する思考を停止させてしまうのがカルトなのだ。