「自分の姿をテレビで見るのがイヤ」ニット界の貴公子、ブレイクから30年のいま
今でも編み物が生活の中心で、料理はしないという。 「一緒に暮らしていた母が5年前に亡くなりました。それまでは食事をはじめ家事を全部やってくれていたので、母がいなくなって最初は困ったんです。でももともと食事にはあまり興味がなく、評判のお店に並んだり、取り寄せたりしてまで何かを食べたいと思ったことがなくて。今は自分で作らなくてもお店で惣菜が買えますし、料理をしなくても生きていけるんです」
元気なうちは新作を作り、技術を伝承していきたい
終活を考えたとき、大量にある作品をどうするかが広瀬さんの悩みどころだ。 「着てくださる方がいれば差し上げたいのですが、私のサイズが女性には合わないんです。男性に差し上げる場合は、似合う人を選ぶので……。でも以前、テレビ番組で東山紀之さんが欲しいと言ってくださったので、差し上げたことはありますね。とってもお似合いでしたよ(笑)」 今年の10月には上海で作品展を予定しており、新作が展示される。 「6月にエストニアとラトビアに行ってきたのですが、その土地から生まれた伝統的な作品を見て感動し、自分もまだ吸収できることがあるんだと刺激を受けました。元気なうちは新作を作り、技術を伝承して、編み物の楽しさを多くの人に広めていきたいと思っています」 取材・文/紀和 静 ひろせ・みつはる 1955年、埼玉県生まれ。霞ヶ丘技芸学院院長、日本生涯学習協議会会長、ニットデザイナー。高校卒業後、水産会社に勤めながら、霞ヶ丘技芸学院の夜間部で編み物を本格的に学ぶ。その後日本ヴォーグ社に入社し、編み物雑誌の編集長に。’93年からNHK『おしゃれ工房』や『趣味悠々』をはじめテレビにも出演し、大ブレイク。現在は編み物の指導や講演会を中心に活動。YouTube「広瀬光治のあみものワールド」も人気。