ブラジル代表、背番号10の系譜(3)またも転落へ…もはや呪い…? 落ちた「史上最高のトップ下」
ブラジル代表は長きに渡ってサッカー界をけん引し、その輝かしい歴史の中で「10」という背番号のイメージも作り上げてきた。世界の覇権を争う舞台で重要な意味を持つ背番号を任された選手たちはどんな活躍を見せたのだろうか。18年ロシア大会までのワールドカップでサッカー王国・ブラジルの背番号10を務めた選手たちを大会ごとに振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの
南アフリカワールドカップ
背番号10:カカー(レアル・マドリー) 生年月日:1982年4月22日(当時28歳) 個人成績:4試合出場/0得点3アシスト 監督:ドゥンガ 戦績:ベスト8 カカーにとっては3度目のワールドカップだったが、4年前に話題を読んだ「カルテット・マジコ」は解体されていた。ロナウジーニョは大会直前までにブラジル代表メンバー候補に入っていたが、ドゥンガ監督は選出せず。背番号10はカカーに渡った。 直前の2009/10シーズンは、レアル・マドリーに移籍して1年目。鳴り物入りで加入した元バロンドーラーだったが、恥骨炎などにも悩まされて「シーズンワースト移籍」とも言われるほどパフォーマンスを落としていた。 そんな中で迎えたワールドカップは、またもベスト8敗退に終わる。カカーは準々決勝までに3アシストを記録したものの、ゴールは1つも奪えず。優勝した日韓大会は1試合の途中出場のみ、ドイツ大会は初戦で挙げた1ゴールだけ、3度目の正直で挑んだ南アフリカ大会も振るわず、2000年代の欧州クラブシーンを彩った名手のワールドカップでのキャリアは10試合1得点4アシストで終わった。 この大会の後、カカーは半月板の手術を受けて長期離脱を強いられる。その後も2年ほどブラジル代表から遠ざかり、2012年10月に呼び戻される。それでもかつてのような輝きを放つことはなく、母国ブラジルで4度目のワールドカップ出場は叶わなかったばかりか、代表招集も散発的になっていった。 2010年の南アフリカワールドカップは、カカーのキャリアにおいて転落のはじまりを象徴する大会だった。
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