世界の大金持ちが夢中になる、プロスポーツチーム買収の世界とは?
■マンUのオークション 数カ月前、オーストリアのスキーロッジのテラスに座っていた銀髪の実業家、トーマス・シリヤクスは、携帯電話でぼんやりとニュースを読んでいた。そこで、マンチェスター・ユナイテッドがオークションにかけられることを知った。世界的な通信事業で富を得たフィンランド出身の投資家であるシリヤクスは、それまでグレイザー家が売却しようとしていることを知らなかった。読んだ記事によると、マンU買収に手を挙げられる期限はまさにその日だった。すぐに彼は取引を仕切っている銀行家に連絡を取り、まだ時間があるかを確認すると、入札した。オークションを担当していたのは、ニューヨークのマーチャント・バンク、レイン・グループだった。レインでは、昼夜を問わずオファーを受けるのは日常茶飯事で、また、あらゆるタイプの入札者からオファーを受けることにも慣れていた。口先だけのオファーでも、素晴らしいオファーでも。 ガラティオトと会ったあと、私は北へ10ブロックほど歩き、焦げ茶色の高層ビルにあるレイン本社を訪ねた。そこで共同設立者のジョー・ラビッチと同僚のコリン・ネビルに会った。元ゴールドマン・サックスのシニア・パートナーであるラビッチは、経験豊富で逸話に富み、率直な物言いをする男で、日焼けした肌に白髪が映えていた。ネビルはラビッチよりもずっと若く、物静かで、かつてアカペラ・グループに所属し、ラクロスをやっていたアイビー・リーグ時代の面影を残していた。ネビルはラビッチのもとで働きはじめた頃、レイン・グループがはじめたばかりのスポーツ事業に目をつけた。思いがけない幸運だった。今では、最も重要な案件を任されるディーラー・チームの一員となり、 騒々しく、成長著しい市場のど真ん中に身を置く。まるで、若き日のアート界のラリー・ガゴシアン、音楽界のデヴィッド・ゲフィンのように。ネビルはラビッチとともに、デヴィッド・ベッカムがインテル・マイアミのオーナーになる手助けをした。また、アリババのジョー・ツァイの代理人としてNBAのブルックリン・ネッツを約34億ドルで買収する取引にも関わった。2022年には、チェルシーのオークションを監督し、より最近ではマンUの売却をグレイザー家から任されてもいた。 ネビルによると、オークションの初期段階はいつもきまって混沌としているという。この時期の出来事は非常に変容しやすい。「私たちの仕事は通常、オークションへの関心を示している人物を厳しく吟味し、信頼性を見極めることです」とネビルは淡々と語った。レイン・グループでは、寄せられるオファーに目を通しながら、興味を示している人たちとの面談や直感、そして独自のネットワークから集めた情報を頼りに選別していく。オークションはペテン師を引き寄せることもある。ネビルは「わからないものです。ですから、何か疑問に思ったら徹底的に調査するようにしています」と言う。 どうやらシリヤクスがマンUに持ちかけたオ ファーはうまくいかなかったようだ。最初に何度か連絡を取ったあと、レイン・グループから返事が来なくなったと、シリヤクスは言う。後に彼は、カタールの首長とイギリスの石油化学業界の帝王だけが有力な候補者として残っているとニュースで知ったそうだ。ある関係者は「初期の段階で弾かれたら、もうそのオークションのことは忘れることです。最初から、見込みがなかったということでしょう。早い段階で切られたら、連絡が来なくなります」と言っていた。オークションで敗れた者は、傷を舐めながら、他をあたるのかもしれない。シリヤクスはレイン・グループのオークション担当からはねつけられても平然としていて、マンUの売却が終わる前には、すでに別のクラブ──今度はイタリアのクラブ──に関心を向けていた。 こうしたオークションには、ある種の秘密主義がつきまとうものだ。オークションの後半に進んだ入札者たちは、結託して白熱するオークションを“薄める”(内部関係者はこれを「フロシネス(泡立て)」 と呼んでいる)ことがないように、通常、秘密保持契約書で口止めされる。 最近では、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに急展開したチェルシーのオークションの値段を超えるものはほとんどない。ウラジーミル・プーチンがロシア軍に国境を越えさせた数週間後、イギリス政府はプーチンと関係があると言われている多くのロシア人オリガルヒ(新興財閥とも呼ばれる)に対する制裁を発表した。そのなかには、チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモビッチも含まれており、アブラモビッチはチームを売却する計画を発表した。間もなく、以前チェルシーと取引をしたことのあるラビッチは、ネビルと一緒にイギリス政府高官たちとZoom会議を開き、今回の取引の特徴について話し合った。 チェルシー売却のニュースは、ピラニアが入った水槽の中に落とされた肉と化した。「狂気の沙汰でした」。ラビッチは当時舞い込んできた問い合わせの量について、そう振り返る。数日のうちに少なくとも200件の問い合わせがあり、「不協和音がやまなかった」そうだ。アブラモビッチに対する制裁は厳しく、買い手がすぐに見つからなければ、強豪チェルシーが資金不足に陥ってしまうのではないかという懸念が深まった。1カ月もしないうちに、当初200もいた買い手候補は、ブロードウェイのオーディションのように3、4グループに絞られた。 ラビッチとネビルは、チェルシーが売却された際の状況は異例だったと強調していた。私が話を聞いた関係者は、2人が話さなかった部分を埋め、オークションの絞り込み段階が通常どのように行われるかを説明してくれた。ブロンコスのオークションでは、最初に殺到した入札者のなかから、現実的だと思える入札者やグループが6名ほどに絞り込まれたそうだ。サンズも同じで、問題だらけの長年のオーナー、ダン・スナイダーが去年去ったあとのワシントン・コマンダースのオークションも同様だった。入札者や入札グループの多くは、代理人として銀行家を雇い、オークションで競わせる。だから、絞り込みの段階ですら、何十人もが関わり、互いの悪口を叩きあって、戦略を立てていることがある。通常、オークションの第2ラウンドに進むと、買収しようとしているチームに関する詳細な財務情報が詰まったバーチャル・データ・ルームにアクセスできるようになる。そして、互いに通じ合っているブローカ ーの間で、誰がまだ残っているのか、誰が弾かれたのか、ますます噂されるようになっていく。 絞り込まれた入札者が、片手で数えられるくらいになると、売却条件が明記された購入契約書案が入札者たちに送られる。すると彼らの弁護士たちが修正に取りかかりはじめ、保証、説明、免責、金額に関する条項など、細かいただし書きを何ページも付け加える。その間、入札者は、リーグのコミッショナーや、うまくいけば仲間になれるかもしれない他のオーナーたちに提出する所有権申請書について考えはじめる。アメリカのメジャースポーツはこうして申請し、承認される必要があるため、本腰を入れた入札者であれば、この段階ですでに他のオーナーの家で朝食を摂るなどして、彼らの支持をあらかじめ得るようにするだろう。あたかも大学の入学願書を準備するように、入札者はしばしば、チームを所有する適性を証明してくれるものを積み重ねていく。調査会社はすでに身元調査を行っているはずだ。聞いた話によると「必ずしもゴミ箱の中まで調べるわけではないが、身ぐるみ剥がされるような感じ」だそうだ。 コンソーシアムを組まないよう忠告されていた入札者たちも、結局はチームを組むよう駆り立てられるかもしれない。オーナーになるには評判を保つことが大事だが、それ以上に重要なのは流動資産の保有だ。NFLチームの主要な買い手になるには、取引が成立した瞬間に15億ドルや20億ドルの個人小切手にサインできるくらい大金持ちにならなければならない。関係者たちに「ありきたりの億万長者たち」と呼ばれる人たちは、必要な現金をプールするためにコンソーシアムに入ることを検討しだすかもしれない。ラビッチはチェルシーへの入札者たちについて、こう言っていた。「コリンと一緒に、大勢をまとめました」 より古く、おそらくもっとロマンがあった時代には、1人のオーナーが、1つのチームや1つのコミュニティのために献身していた。今では、スポーツチームは資産であるという高度に金融化された見方によって、オーナーシップには人情味が失われつつある──あるチームのオーナーが、より良い投資先だというだけで、他のチームに入札するかもしれないのだから。NBAのフィラデルフィア・76ersの共同オーナーで、根っからのフランチャイズ・コレクターであるデビッド・ブリッツァーは、チェルシーのライバル、クリスタル・パレスの共同オーナーになっていた。しかし、ブリッツァーはコンソーシアムの一員としてチェルシーに入札した。あとになって、もし自分のグループが落札していたら、次にロンドンを訪れるときには「少し隠れなければならなかっただろう」と認めている。 また、すでにロサンゼルス・ドジャースとロサンゼルス・レイカーズの共同オーナーだった投資家のトッド・べーリーは、プライベート・エクイティ会社クリアレイク・キャピタル・グループのベフダッド・エグバリとホセ・フェリシアーノが率いるコンソーシアムの一員として、デンバー・ブロンコスに入札したと報じられた。ブロンコスのオークションが行われたのは、べーリーとクリアレイクも入札していたチェルシーのオークションと同時期だった。レオンシスは、こうした急な忠誠心の切り替えをかなり皮肉ったうえで、誰かが婚約者に唐突にこう言うところを想像してみてほしいと言った。「もう君とは一緒にいられない。他に好きな人ができたんだ」 レオンシスも、自分もチェルシーを買おうかと考えたことがあったという。「実際に行って見てみよう。みんなやっているんだからと言って、丸一日チェルシーで過ごしました」。だが結局、入札はしなかった。「こいつ、そもそもチェルシーに住んでいるのか? サッカーの基本をわかっているのかよ?」とファンに詰められると思うと、耐えられなかったからだ。レオンシスの場合、答えはどちらも「ノー」だったはずだ。彼は、オーナー候補には「何試合観戦しますか?」「ボックス席から降りてくることはありますか?」と聞くアンケートを送るべきだと話していた。「いくら見せかけても、ファンは1マイル先からでも偽物を嗅ぎつけますからね」と言って、レオンシスは肩をすくめた。「ファンの一員でないなら、ファンから愛されることはありません」 べーリーとクリアレイクのグループは、2022年春にチェルシーのオークションが終了しようとしていたとき、最後の入札者として残っていた。彼らが提示した52億ドルという金額は、当時のスポーツ界では前例のないものだったが、チェルシーの代理人であるレイン・グループに受理された(イギリス政府との合意の結果、売却金はアブラモビッチが設立する慈善財団に寄付されることになった)。取引が終わりに近づいても、コルクが弾ける音は聞こえなかった。ほとんどのスポーツチームのオークションは、契約に関する細かな要点をめぐって孤独な交渉が続くフェーズに入るところで終わる。 取引が完了すれば、取引のあらゆる局面に立ち会い、気を配り、多大なストレスを感じていたはずの弁護士たちも、ようやく落ち着ける。弁護士と銀行家は、『ロミオとジュリエット』のモンタギュー家とキャピュレット家というわけではない。しかし、彼らが互いに疑心暗鬼になるのは当然で、買収が終わるとようやく、意見の相違を脇に置いてディナーに出かけ、ともに祝杯を上げるのだ。銀行家と弁護士の間では、契約締結後に記念品を交換するのがしきたりとなっている。家に持ち帰れるガラスやルーサイト製の像を贈り合うのだが、これは技術的な功績を称えるアカデミー賞のように、スターたちの目に触れないところで渡されることが多いという。 ■ビジネスと人間らしさ 昨秋、こうした異常な動きはどこに向かっているのかを探ろうと、私はロンドンで講義を聴講することにした。チーム売買の経験が豊富な弁護士、チャールズ・ベイカーが、未来のチーム買収のスペシャリストになるべく研修中の法学部の学生たちに行った講義だ。急速に変化するプロスポーツのオーナーシップ文化についてのスライドを見せながら、ベイカーはヨーロッパの状況に焦点を当てて話していった。イタリアの歴史的王者ACミランは、マンハッタンを拠点とするプライベート・エクイティ会社レッドバード・キャピタル・パートナーズが全株所有している。イングランド北部の工業地帯にあるニューカッスル・ユナイテッドFCは、サウジアラビアの政府系ファンドが率いるグループがオーナーだ。フランスのパリ・サンジェルマン(PSG)はカタールが手に入れている。 私が話を聞いた関係者のほぼ全員が、北米のチームの価格はすぐに高騰し、ごく一部のデカビリオネア以外は手が出せなくなると確信していた。成長志向のリーグはそれを望まないだろう。NFLも同じだ。彼らはすぐにオーナーシップのルールを緩め、おそらくシステムを流動的に保つためにその後も緩め続けていくだろうと関係者は考えている。アメリカのプライベート・エクイティの金がヨーロッパのサッカー界に急速に流れ込んでいるのとは対照的に、アメリカのスポ ーツチームの所有権を与えられた政府系ファンドはなかった──昨年、レオンシスが自分のチームの少量の株をカタールに売るまでは(よりによってみんなから愛されているスポーツタウンの市長、レオンシスが!)。その理由を尋ねると、レオンシスは守りに入りながらも温和な態度を崩さなかった。「カタール投資庁が所有しているのは、5%未満ですよ。彼らは取締役会にも入っていません。1年に1度私たちとミーティングができるだけ。彼らは投資家であって、パートナーではありませんから」 ベイカーはロンドンの学生たちに向かって、NFLがこれらの資金を受け入れることの是非を検討する委員会を立ち上げたと言った。背後のスクリーンには、ACミランとPSGのチームロゴに、ウォール街と、ある石油国家のアバターが映し出されていた。両チームのスケジュールを調べると、ミラノで対戦することがわかった。私はすぐさまメールを送り、Airbnbを調べはじめた。そして2週間後、イタリア行きの飛行機に乗り、ジェリー・カルディナーレに会いに行った。活動的で、常に携帯でメッセージを送り続けている彼は、投資会社レッドバード・キャピタル・パートナーズの社長で、1年半ほど前からACミランのオーナーを務めている。 数十年にわたり、スポーツに関するさまざまなビジネス取引の交渉役や投資家として経験を積んできたカルディナーレは、オーナーシップというエコシステムにおいて、相反する立場を取る存在だった。思ったことは何でも口にする彼は、現在チーム買収に支払われているあまりにも高すぎる金額は馬鹿げていると思う、と正直に口にすることを厭わない。こんなジョークを言っていた。他の種類の会社を買うときは、オファーを出す前に詳細な株式調査を依頼するのに、スポーツチームを買うとなると、業界誌に掲載されている数字を見て、それをそのまま口にするのだと。「ああいった評価額を裏付ける厳密な分析はほとんどありません」とカルディナーレは言った。つまり、誰かが払うつもりの金額でしかないということだ。 私たちはミラノのホテルで、朝食のテー ブルを囲んでいた。ACミランのここ一番の試合であるPSG戦は、翌日に予定されていた。元ゴールドマンのカルディナーレは、髪をオールバックにし、仕立てられたスーツを着ていて、どこに行くにもディーリングルームの気迫を持ち込まずにはいられない。ACミランの従来のファンの肉体労働者たちは、少なくともその時点では彼を気に入っているようだった。彼が観戦しに来ると、チームはほとんど負け知らずということが一因なのかもしれない。カルディナーレのイタリア人ボディーガードは、彼を「イル・タリスマーノ(イタリア語でお守りの意)」と呼んでいる。 銀製のポットからコーヒーを勢いよく注ぎながら、カルディナーレはオーナーシップの話題に戻ってこう言った。「ベゾスはNFLのチームを買うかって? おそらくそうでしょうね。その気になれば、リーグを丸ごと買収もできるでしょう。シリコンバレーの輩でないのなら、支払い能力があるという点で次にくるのは、ヘッジファンドやプライベート・エクイティのやつらですね」。カルディナーレの仲間たちのことだ。「そう、私がいる世界ですよ」とカルディナーレは同意した。「金融、投資、ウォールストリートの連中ですね」。ベゾスが巨大な小切手帳を手にプロスポーツ界を踏みつける怪獣のような存在だとすれば、カルディナーレはまた別の怪獣だ。 プライベート・エクイティがもたらすリスクについて私が質問すると、カルディナーレは率直に答えてくれた。でもまず、ウェイターに目くばせすると、コーヒーポットを軽く叩いて、おかわりを注文した。「いい質問ですね」と彼は言った。「この流れが止まることはないですよ。いったん資本主義が介入したら、抑えることはできません。これからの所有権は企業の傘下に置かれることになるでしょう。まさに軍拡競争ですよ。これからもさらに続いて、隙間を見つけては資本主義が入り込んでいくのです」 コーヒーが届くのに1分かかった。待っている間、私はカルディナーレに街の反対側で借りているAirbnbの話をした。そのアパートのオーナーはアルフレドという男で、棚に53枚ものDVDを並べていて、どれもACミランのゴールシーンを録画したものだった。彼はまた、ミランが最近優勝したときのことを思い返して味わうために地元紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』を保存していた。カルディナーレは、新聞についてのくだりに顔をしかめた。そして「正直、ストレスなんですよ」と言うと、オーナーが背負う奇妙な重荷について話してくれた。「しかも、今まで経験したことのないようなストレスを感じています」 説明を求めるとカルディナーレは、投資家としてこれまで、感情的なしがらみを避けることでうまくやってきたと言った。「スポーツをつねに他の産業と同じように見るのが私のやり方です。オマハで部品を製造するのも、ニューヨークでジャイアンツのオーナーになるのも、同じです」。こうした公平性が、彼を金持ちにした。ストレスはあっても、金持ちに変わりない。「一般的に何かのオーナーになるのはストレスがかかる。この種の金を扱うのも、第三者資本の受託者になるのもストレスです。だから今、これまで経験したことのないレベルのストレスを抱えています」とカルディナーレは言った。「それはアルフレドのような人たちがいるからですよ」。コーヒーが来ると、カルディナーレは大量に飲んでこうつぶやいた。「悩みどころですね」 そのとき私はレオンシスのことを思い出し、数週間前にワシントンで行われたホッケーの試合を一緒に観戦したときのことが蘇ってきた。試合の終盤、彼のお気に入り選手のオベチキンがゴールを決め、長い不振にピリオドを打つと、アリーナはどよめいた。誰もが思わず立ち上がり歓声をあげた。レオンシスは座ったまま、シートに少し腰を沈めただけだったが、その表情は胸をなでおろした親そのものだった。後日、マーク・キューバンになぜ1チームしか所有しないのかと尋ねると、彼はこう答えた。「それ以上所有するほど、感情資本が追いつかないからです」。私自身も一ファンであり、感傷的になったり、悪態をついたり、辛辣になったり、自慢したり、至福に浸ったり、DVDや変色した新聞を持っていたりする。そしてそうした感情がプロスポーツに実に深く根付いているのを知っている。まさにそれと同じ感情が、オーナーシップという雲の上の経験を、どれほど彩り、曇らせるのかを知ったのは驚きだった。ガラス張りの特別観覧席に座れば、誰だって高慢で冷酷に見えるものだ。だが、彼らがそこできまり悪い思いをしているとは。 スポーツにこだわりがあるわけではないと言っていたカルディナーレも、これには意表を突かれていた。革新を起こし、漸進的に改善していこうと思ってオーナーになったが、大一番の試合を前にした今は、ただ対戦相手を倒したいだけだったからだ。PSGの資金源は際限のない金持ちだ。資金源の差を見せつけるかのように、カタール人オーナーたちは最近、ACミランの優秀な選手の1人である人気の若手ゴールキーパー、ジャンルイジ・ドンナルンマに高額な報酬を提示して、見事引き抜きに成功していた。カルディナーレは、外国のリーグに投資する気になったのは「所有権に制限がなく、主権を有する政府でも、オリガルヒでも、裕福な個人でも、誰でもチームを買えるから」だと言った。しかし、規制がほとんどないスポーツの軍拡競争という現実は、理屈以上に受け入れがたいものだった。 カタールが支援するPSGは、世界で最も高額な選手の1人であるキリアン・エムバペを起用したこともあり、前回はACミランを粉砕した。「NFLやNBA、MLBにとって、お手本となるようなデータばかりです」とカルディナーレは、少なくとも表面上はアメリカのリーグのチーム間の給与を均等化している、年俸総額の上限と奢侈税についてほのめかした。「いわゆる“無法地帯”の長所と短所がわかりますよね」 彼は寄ってきたアシスタントと何やら相談すると、唐突に言った。「ここで夜7時に会いましょう」。それは、カルディナーレの目を通して試合を体験しようという誘いだった。 その後、私たちは彼が滞在しているホテルからSUVに乗ってサン・シーロに向かった。カルディナーレのボディーガードは、車が渋滞や警察やなんらかの障害に遭遇するたびに、ブーンと窓を下げては「後部座席にACミランのオーナーを乗せている」と叫んだ。するとモーゼが海を割ったように道ができた。地下の駐車場に着くと、カルディナーレは差し出された100本くらいの手と握手をはじめた。「私の近くにいてくださいね。もみくちゃにされますよ」と彼は言った。言葉の通りその後の3時間は、きらびやかで、うわべだけの、耳をかきむしるようなカオスだった。バーでは写真を頼まれ、ピッチサイドではハグの嵐。あるときは、オアシスの名曲がスタジアムじゅうに響き渡った。 ぎゅうぎゅう詰めの通路を下っていくと、カルディナーレは試合を観に来ていたデヴィッド・ベッカムと出くわした。もう1人の引退したスーパースター、ティエリ・アンリも一緒だった。冬もののコートに身を包み、穏やかに微笑む2人の元スーパースターは、引退後の姿も見事で、美しくすらあった。特にベッカムは、つい最近Netflixで公開されたドキュメンタリー映画『ベッカム』でふたたび名声が高まったこともあってか、強いオーラを放っていた。ベッカムがカルディナーレをハグすると、アンリも続いた。普段はロッカールームにいる人たちと、ディーリングルームにいる人たちが顔を合わせると、野次馬たちは面白い瞬間をとらえようと、いっせいにスマートフォンを掲げた。そうしてようやく、キックオフの数秒前に、私たちは席についた。 PSGは試合開始早々にゴールを決めた。するとACミランがすぐさま同点に追いついた。ゴール裏では、熱狂的なファンが発炎筒に火をつけた。彼らは以前までミランのゴールキーパーだったドンナルンマに物を投げつけると、見事にシンクロした動きで何千枚もの偽札を投げつけ、彼を軽蔑して苦しめた。ミランが勝利のゴールを決めると、カルディナーレはその騒動にあやうく引きずり込まれるところだった。そうなれば、叫び声をあげる彼の写真が翌日の『ガゼッタ』紙に掲載されたことだろう。だが、試合終了のホイッスルが鳴るやいなや、彼は席を立ち、あっという間に駐車場へ向かった。あまりにも急で、ボディーガードがエレベーターに乗っている私をつかまえにきた。そしてすぐにSUVでホテルに戻った。 後部座席で息を整えながら、カルディナーレは優しい声でニューヨークに電話をかけた。相手は高校生の娘だった。今年は学校の代表チームに1つも入れなかったという。それまでもカルディナーレは娘に、成功したアスリートのインタビュー動画や、簡単にあきらめてはいけないという人生訓を切り抜いては送っていた。自分の父親も似たようなことをしていたと、以前話していた。「スポーツ欄の記事を切り抜いては、朝食用のシリアルの横に置いてくれていました」。カルディナーレは父親のそうした習慣を、「スポーツは、たった2時間から4時間の間に、人の心をすっかり奪ってしまうから」だと言った。 彼のようなウォール街の投資家たちは、奪われた心に責任を持つつもりだったのだろうか? 国は? カルディナーレでさえ、確信が持てなかった。「もし全てのチームのオーナーが企業になったら、いったい、どうなるのでしょう? 金融機関でも、政府でもいいですが」と彼はおおげさに言った。カルディナーレはその質問に、別の質問を投げかけることでしか 答えられなかった。「ビッグビジネスと人間らしさは、どうすれば互いにズタズタに傷つけ合わずに済むんですかね?」 From: GQ.COM BY TOM LAMONT ILLUSTRATIONS BY ZOHAR LAZAR TRANSLATION BY MIWAKO OZAWA