「最後の兵隊」小野田寛郎さんが羽田空港に降り立ってから50年…「ジャングルおじさん」が次世代の子供たちに残していた「贈り物」
手造り模型の兵隊は、かすかに微笑んで
小野田さんは後年、「現在の自分を作ったのは、子供時代だった」と語っています。ルバング島で30年を戦い抜いたことではない、と。だからこそ、彼は日本に何か恩返しをしたいと思った時、世の子供たちがたくましくなる手助けをしたいと思ったのでしょう。 講談社には、現在でも小さな手造り模型がひっそりと保存されています。わらと竹ひご、ブリキ板などを使い、三越百貨店の洋服箱の蓋を地面に見立てた30cmほどのもので、こんな言葉が書き込まれています。 〈贈 加藤謙一先生 昭和四十九年十月三日 小野田寛郎 少年少女用圖書出版ニ際シ、作画の参考としてルバン島三十年ニ於ける雨期生活の假小屋模型を執筆時の余暇に製作せしものです H.Onoda〉 小野田さんが尊敬の念をこめて「加藤謙一先生」と呼んだその人は、『少年倶楽部』の黄金期を作り上げた名編集長です。この模型を贈られた当時、加藤氏は一線を退いて講談社の顧問をつとめており、その翌年、79歳で世を去りました。 仮小屋模型には小屋の前に立つ小さな兵隊姿の紙人形がついていますが、その兵隊は穏やかな笑みを浮かべています。それは子供たちに対し、限りない慈しみを持って接した小野田さんそのものです。 2014(平成26)年、小野田さんは91歳で、その生涯を閉じました。時代に翻弄され、大人たちの思惑に翻弄されながらも、彼は自分の生き方を次世代の子供たちに示し続けたのでした。 【もっと読む】『「まさかの帰還」から半世紀…「最後の兵隊」小野田寛郎さんが日本国民に与えた「衝撃」と、残していた「一枚の手書きメモ」』
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