【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 「あとはお前ら」神宮はミーティングなし 馬淵采配の神髄に迫る林監督(第7回)
馬淵監督 試合前の入り方は夏の大会も同じだが、大会1週間前になったら全然、言わない。「監督の仕事は1週間前で終わりや。もう俺のやることはやった。あとはお前らやで」といった形で毎年やっています。その代わり、試合の1週間前までは徹底的に練習する。後の1週間は軽め。神宮大会の時も、東京に行く前にこの球を狙おう、この打者はここを中心に攻めようとやった。東京ではホテルでミーティングもやらなかったですね。 勝つために、試合前にできる限りの準備をする。それでも「勝負は時の運」と、馬淵監督は考えている。 馬淵監督 勝てる時には勝てるんですよ。何年か(甲子園に)行っていないと、監督にプレッシャーがかかる。続けて出ていたら、1回ぐらい(出場を逃しても)ええかな、文句は言われんやろと思って、思い切った作戦がやれる。これがはまるんですよ。良い方に良い方に行く。良いチームなのに勝てないのは、悪い方に悪い方に行ってしまうのでしょうね。監督や学校のバイオリズムが良い時には勝てる。勝負事って、不思議ですね。=つづく
第50回記念明治神宮野球大会1回戦=2019年11月15日、○明徳義塾8-5星稜●
明徳義塾は1点を追う四回無死満塁、5番・新沢颯真の右前打と今釘勝の右犠飛で勝ち越し。さらに暴投と捕逸で2点を加えた。五回は1死一、三塁から鈴木大照の左越え3ランで加点。星稜は2失策やバッテリーミスが失点につながり、先発の右腕・荻原吟哉も制球が甘かった。
明徳義塾
1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。
馬淵史郎
まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。