「経験を積むほど仕事中毒に」都知事選出馬・蓮舫氏の原点を当時の連載&お宝写真で振り返る「“人の営み”は“経済”じゃ簡単に変わらない」報道番組を自主降板して留学した中国で得たものとは?
東京都知事選の出馬を表明した立憲民主党の蓮舫参院議員。今でこそ野党の中心的存在の彼女だが、若かりしころはタレントやキャスターとしてテレビ・雑誌で活躍していた。雑誌『COSMOPOLITAN 日本版』より、蓮舫議員のインタビューを抜粋。その発言から改めて彼女の人となりを探りたい。 〈お宝画像?〉1995年、キャスター時代の蓮舫氏
キャスターを志したきっかけは天安門事件
5月27日の出馬会見で「反自民・非小池都政」「小池都政のリセット」を掲げ、現職の“女帝”小池百合子都知事との真っ向姿勢を表明した蓮舫議員。 2004年に参院選東京選挙区で初当選して政界入りを果たして以降、彼女はその毅然とした態度を貫き、いまや “立憲の女帝”ともいえる存在感を放っている。 彼女が世に出たのは青山学院大学在学中の1988年、芸能界デビューの登竜門といわれた「クラリオンガール」(2006年で終了)という音響機器メーカーのキャンペーンガールに選ばれたことがきっかけ。 そして、グラビアアイドルなどのタレント活動を経て、報道番組のキャスターも務めていた。その期間に女性誌『COSMOPOLITAN 日本版』(1980年6月号~2005年2月号/集英社)の誌面にたびたび登場し、そのときどきの仕事哲学や人生観、そして恋愛・結婚観についても語っていた。 記念すべき初登場は1990年12月号の「ポジティブ会話術を身につける モデルから盗むビューティ・アップ術」という特集記事だった。 当時の彼女は頭の回転の速さと巧みな会話術でテレビ番組の司会者やコメンテーターなど7本のレギュラーを抱えていた。インタビューでは自身の“喋り”について、自らこのように分析している。 「年子の兄と弟にはさまれ、学校も共学だったせいか、私のしゃべり方って確かに男っぽいところがあるみたいですね。ときどき、テレビなどでも、一緒に出演してる方を呼び捨てにしちゃったりする失敗もあって(笑)。(中略)言葉って本当に大切だから、逆に行動や表現でちゃんとそれを補いたい」(『COSMOPOLITAN 日本版』1990年12月号より) そして、彼女の活躍の場は1992年頃を境に、徐々に報道へと移っていく。夕方の報道番組『ステーションEYE』(テレビ朝日系)でメインキャスターを務めていた1995年のインタビューでは、キャスターを志すきっかけとなった出来事として、「天安門事件」を挙げている。 「同じ中国の人の痛みもわからない中国人、いったい何だろうって考え込んじゃったんです。そのときからですね。“いつかニュースキャスターになるんだ”と思ったのは」(『COSMOPOLITAN 日本版』1995年4月号より)