伝説の香港スラム街「九龍城寨」はなぜ今も人気なのか かつて居住した日本人の証言
九龍城寨に凝縮されていったもの
一方で香港人たちは「日本ではなぜ人気があるの?」と同じ疑問を口にする。欧米でも人気だが、関連書籍が多く“基礎知識”が豊富で、ゲームや小説、漫画の舞台になった回数がやけに多い国といえば日本だ。 九龍城寨が日本で注目され始めたのは、写真集『九龍城砦』(ペヨトル工房)が出版された80年代後半あたりから。97年の香港返還前後には写真集『最期の九龍城砦』(新風舎)の初版や、内部を舞台にしたゲーム「クーロンズ・ゲート」が世に出た。実物大の再現スペースがあるゲームセンター「ウェアハウス川崎店 電脳九龍城」(2019年閉店)は05年のオープンだ。また一昨年には歴史本の決定版『九龍城寨の歴史』(みすず書房)も出版されるなど、息の長い人気を誇っている。 吉田さんに人気の理由を尋ねると、最近入手したという昭和42年発行のガイドブックを取り出した。 「この本の前書きで『東洋の真珠あるいは東洋の屑籠』と書かれているように、日本人にとって昔の香港はそれ自体が神秘的でカオスでした。ドラマ『Gメン75』の香港編や60年代の映画にしても、容疑者が高跳びする場所といえば香港。今の九龍城寨に対するイメージは、かつて香港自体に抱いていたイメージに近いですよね。香港からそういう部分がどんどんなくなっていくにつれ、九龍城寨にイメージとして凝縮され、やがて“ファンタジー”になったのだと思います」
スラム街が遂げたさらなる進化
このファンタジー化は香港でも同じと考えられるが、SNS上で「九龍城寨之圍城」の感想を見ると、まず「香港映画として」絶賛する声がある。 「香港映画の後継者が現れたことを祝福したい」 「香港アクション映画の新たなレベル」 このアクションを日本人のアクション監督が作ったという点も、日本としては非常に誇らしい。また、人の絆を描くストーリーも高く評価されているようだ。 「九龍城寨の本来の姿を復元し、さまざまなギャングの世紀にわたる抗争で物語をけん引し、生き残って変化を受け入れる城壁都市の人々の努力の精神を再形成した」(香港メディアの作品解説より抜粋) とはいえ、九龍城寨が現役だった頃の香港は、多くの人が”厄介な場所“だと思っていた。吉田さんは言う。 「取り壊しが決まった時の香港は歓迎する声が大きかったんですよ。悪の巣窟がやっと消えると(笑)。でも実際は香港でもファンタジー化が進んで、『九龍城寨之圍城』では古き良き義理人情まで投影している。ファンタジーであり、さまざまなものの象徴になったのが今の九龍城寨ではないでしょうか」 逆に考えるなら、仮に九龍城寨が現存していた場合、「九龍城寨之圍城」のような描き方は生まれなかった可能性もある。むしろ30年前に完全消滅したからこそ、人々の想像や理想をどこまでも受け入れる“媒体”に変化した。スラム街からさらに進化したのである。 「今あったとしても住みたくはないですが(笑)、屋上からの眺めだけは最高でした。着陸する飛行機が九龍城寨の斜め上を通るんですよね。すごい迫力で。また当時、香港のテレビ局が日本の紅白歌合戦を生中継していたんですよ。香港側の司会を立てて。それを九龍城寨の中で観ていたことも印象に残っていますね」 時は流れても、「心にそれぞれの九龍城寨」は在り続ける。
デイリー新潮編集部
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