リアス・アーク美術館、災害の記憶をどう継承していくのか 目黒区美術館で
東日本大震災から5年を前に、宮城県気仙沼市と南三陸町の当時の様子を写した写真や被災物を展示する展覧会が、東京都・目黒区美術館で開かれている。 リアス・アーク美術館(気仙沼市)の学芸員たちが、古里の災害の記憶を残さなくてはと、約2年をかけて、調査、収集した貴重な資料が並ぶ。地元の災害の記録、記憶の継承にどんな役割を担うべきなのか、美術博物館の新たな側面を問う展示でもある。
都内での本格的な展示は初めて
展覧会は、「気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」。同館は、約3万枚の被災現場写真を撮影するとともに、津波に飲み込まれたり、地震で傷ついたりした「被災物」約250点を収集し、2013年4月から常設展示を行っている。今展覧会では、写真203枚、被災物の写真パネル61枚、被災物11点に歴史資料を加えた約400点を公開。都内での本格的な展示は初めてだ。 同展と合わせ、1日、青山ブックセンター本店で開かれたトークイベントに、この取り組みに詳しい多摩美術大教授椹木野衣(さわらぎ・のい)さんと、リアス・アーク美術館学芸係長で学芸員の山内宏泰さんが登壇した。 山内さんは勤務中に被災。高台に建つ美術館は津波による浸水は免れたが、地震で大きく損傷した。山内さん自身も自宅を流された。記録を残すため、山内さんら学芸担当者2、3人は発生直後から、立ち入り禁止区域も含め、両市町で撮影を始めた。全てが崩壊し、人の生死もわからないという大混乱のなか、撮影して回る山内さんたちに対し、「なぜ学芸員が写真を撮っているのか」と、けげんな表情を見せる住民も多くいたという。
「震災の記憶を、失ったものへの共感を感じられる」展示の数々
「(記録に残すのは)当然のことだった」と山内さん。同館は1994年の開館時から、地域とその歴史、民俗をつなぐ役割を大きな柱とし、その一環として、地元の津波の歴史も研究。2006年には、2万人以上の犠牲が出たとされる明治三陸大津波(1896年)の記録を伝える展覧会を開催していた。災害に見舞われた地元の「風景」を文化として残し、伝えるための行為は同館にとって必然だった。 展示においては、訪れる人々が、「震災の記憶を、失ったものへの共感を感じられる」主観を重視した手法を取り入れている。写真には1枚ごとに、具体的な被災状況を説明しつつ、撮影時の思いを盛り込んだキャプションを、被災物には、学芸員が被災者の気持ちを汲み取り、綴った架空のストーリーを添えた。常設展を見た地元住民からは「あの状況のなかで記録を残してくれて」と感謝されたという。 トークで山内さんは、「(死者数など被害を)数字で表すことは危険性をはらむ。(被災した場所で)暮らしていた人の記憶が再生できるようにしたい」と話した。 一方、椹木さんは、災害の記録にかかわる美術博物館の活動について、「(次の災害に備えた)“事前”の美術」と形容し、今後の美術博物館のあり方のひとつとして重要視している。トークでも「地殻変動が頻繁に起きる最前線の国で、大地震、噴火など自然災害にさらされる場所で、美術、美術館はどうすべきか。(災害で)失った人を求める思いが、文学や絵画、詩などになっていく。ヨーロッパとは異なる、そんな文化の流れがあって、慰霊や教訓、(災害の)記憶から、日本列島の文化を考えたとき、それが機能する場所として、美術館はあるのでは」と述べた。 気仙沼市と目黒区は1996年、「目黒のさんま祭」に市がサンマを提供したことをきっかけに、災害時相互援助協定を結ぶなど交流を深め、震災の半年前の2010年9月には友好都市協定を締結。その縁が今展覧会の開催につながった。