「彼は自分を持っているブレない人間」。野村祐輔の原点・広陵高時代の恩師、中井哲之監督が語る惜別の思い
◆「祐輔は、自分を持っているブレない人間」 野村祐輔という人間・選手を言葉で表すならば、『自分を持っていて、ブレない』ですよね。だからレギュラーだろうと控えだろうと、年上、年下だろうと、どんな立場でも自分がブレないし、群れたりしないですよね。本気だと思えば後輩の面倒を見たり、食事にも連れていくんでしょうけどね。私にとって広陵生は皆可愛いですが、中でも祐輔はしっかりしています。お母さんの体調が悪い時期に、広島から小倉に日帰りで通いながら、登板したりしていました。それを誰かに言ったり、そのせいで勝てなかったとかも一切言わず。亡くなられた時も、その時だけ葬儀があるからローテを外したようです。これは、ほとんどの方が知らないのではないかと思います。 プロ野球の世界で13年ですか。年齢から言うと、プロの世界で30歳までプレーすることができたら、よく頑張ったなと思います。祐輔は35歳までできた。すごいことだと思いますし、その年齢までやりきって、本当によくやったと思います。もちろん、もっと活躍してほしかった、もっと投げる姿を見たかったという思いもあります。しかし、彼は人に教えることも上手いし、伝えるのも上手いです。もしも職業がなければ、ぜひ広陵高野球部の臨時コーチをしてほしいくらいですよ(笑)。やっぱり彼は野球が大好きですし、プロ野球を目指す子はもちろん、目指さない子にも『野球というスポーツはすごく良いよ』と伝えてほしいです。子どもの人口も、野球をする人口も減ってきている中で、教職員をしている私たちはわかるのですが、この現状についてプロ野球選手たちにも気づいてほしいです。これから、プロ野球を見る人がいなくなったら、お客さんも来なくなる。底辺拡大の行動、もしくは、言葉が大事になってくると思います。彼らは影響力がありますからね。 祐輔もそういう権利を持っている人であり、『野村さんがそういうなら』とか『引退してもきちんとしている』とか、そういう人間でいてほしいです。ですが、彼は、人間的に変わらないですよね。偉そうにしないし、そこがカッコいいですよ。最後になりますが、祐輔には、お疲れさまでした。ありがとうと言いたいです。 ■中井哲之(なかい・てつゆき) 1962年7月6日、広島県出身。 陵高、大商大を経て、1985年に広陵に赴任し、硬式野球部副部長を務める。1990年に27歳で野球部監督に就任すると、翌1991年には、65年ぶりとなる春のセンバツ甲子園で全国制覇を達成。2003年には元巨人・西村健太朗、白濱裕太らを率いて全国制覇した。夏の甲子園では2007年、2017年と2度チームを準優勝に導いた。これまでの監督人生で春14回、夏9回甲子園出場を果たしている。現在は同校で新たに創部された女子硬式野球部の総監督も兼任している。
広島アスリートマガジン編集部